教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
緊急事態宣言が発令された最初の週末。僕も郵便ポストまで1往復する以外1日家にいた。外出の8割減は休みの日はできるが平日は通勤がある。もしかして教師も在宅勤務が発令されるか。それは人の移動を抑える目的と教師の発症を抑える効果がある。たとえ休業が解除されても教師が感染していれば授業はできない。もっともそんなことをすれば非難囂々になる可能性は高く、決断のハードルは高い。誰が、何のために、何を守るのかを明確にする必要がある。
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今日を持って世の中が代わり始めたような気がする。緊急事態宣言が出て、京都府は指定されていないが準ずる措置が行われている。僕の帰路でいうと、大型店舗が7時で営業を終了している。図書館の業務がカウンターだけになった。もっともっと変わっているのだろう。テレビには大阪府の吉村知事が出ていた。彼の話は明確だ。東京都のような休業補償ができるかという質問に対して、東京都と違い財源がないので同じようにできないと断言した。もちろん、何らかの保障はすると付記はしたが。できないことを曖昧に答弁するより誠実である。現実から次の方策が生まれる。危機に陥ったときのリーダーのあり方が今試されている。学校は明日から5月6日まで休業になった。生徒との連絡はネットを通じてになった。65年の人生でいまだかつて体験したことのないゾーンに突入した。
コロナ禍の中でも入学式は決行されました。彼らにとっては一生に一回の高校の入学式。特に、本校は小学校中学校と不登校だった生徒が多い。心機一転新たなスタートを切ろうとする生徒たちが多い。シンプルでしたが良い入学式だったと思います。でも、入学したとたんに臨時休業。気持ちを切らないで、再開したら元気に来てほしい。
ついに、緊急事態宣言が出された。といっても、不要不急の外出の自粛を要請するにとどまっている。違反者に罰則はない。ロックダウンもせず、日用品の買い物や通院はともかく通勤もOKである。外国に比べて非常に緩い拘束力である。とにかく国民の良識に訴えて協力を呼びかけるというスタンスだ。だから、厳しくした方がいいかと問われれば口を濁してしまう。そこが日本人なのか。しかし、その時代を生きていないので本当のことはわからないが、戦時中の治安維持法下の日本は非常に厳しい統制が敷かれていた。その反動なのか、同じ日本人とは思えない変貌である。これが戦後75年の時の流れなのか。
午後3時30分ごろ、京都市教育委員会が市立学校の休校の延長を発表した。それでもSNSでは遅すぎると批難轟々である。それから遅れること2時間30分の6時過ぎ、ようやく京都府知事が教育委員会に休校の延長を検討するように打診した。京都市内には市立高校だけでなく府立高校もある。なんで、府と市が協議して決定しないのだろうか。いつもそうだ。互いに、というか、市が出し抜き、府が後塵をノコノコ付いていく。コスカラい市とマヌケな府。本当に仲が悪い。学校や教師はその巻き添えを食う。いや、子供や保護者が蔑ろにされている。日本の政治は嘆かわしいことばかりだ。