教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
帰路、小型のワゴンがパトカーに制止させられているのを目撃した。理由はわからないが、善良そ7うな車だったので同情した。僕が最後にキップを切られたのは夜蹴上を走っているときにテールランプが切れていたのを後ろを走っていたパトカーに止められた。整備不良ということだ。まったく気づいていなかった。誰が乗る前にテールランプを点検するだろう。しかし警官は、「わしは毎日点検している」と言った。嘘だろう。運が悪いとしか考えられない。それ以降、テールランプの切れたバイクを見るたびに思い出す。まあ、警告として受け入れなければならないのだろうが。
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地域ボランティア活動の一つ、年2回の町内清掃の日だった。朝8時30分から近くの児童公園の草抜きをした。今は遊ぶ子供もなく、草が生え放題。砂場にも一面に草が生えている。この砂場で四半世紀前、うちの3人の子供が近所の子供と一日中遊んでお世話になった。感謝の気持ちで草を抜いた。留意点が2つある。一つは腰痛である。近くの草をできるだけ垂直に引いて抜く。腰に負担をかけぬためだ。一つ間違うと一瞬でぎっくり腰になる。もう一つは、引っ付き虫、正式名はアレチヌスビトハギである。防ぐコツは、ナイロン系のツルツルした素材の服を着ることだ。コロナなので一家に一人、それでも20人余りの人出で30分ほどで終了した。報酬にペットボトルのお茶をもらって解散した。
一日家なので体がなまる、そこで久しぶりに素振りをした。半年前までは毎日していたが、やりすぎて肩が痛くなっていたので中断していた。仕上げは家の前の道路を坂ダッシュを3本。全速力で走るのは5年ぶり、犬が元気だった時に散歩の途中でして以来だった。走りたいと思っていたが怖かった。案外走れた。ちょっと自信。
カウンセリングを勉強しなおそうと本を読みなおしている。今読んでいるのは河合隼雄の『カウンセリングの実際問題』である。今日読んだところに出てきたのが、「待つ」という言葉だ。若い頃勉強し始めと僕を救ってくれたのが「待つ」だった。当時の僕は瞬間湯沸かし器のように短気だった。それで生徒ともよくぶつかった。そんな時、福本先生が教えてくださったのが「待つ」ことだった。すぐに反応せずに見ていると自然と事態は好転していくことが多くなった。冷静に省察し判断を下せるからだろう。いまは穏やかになったが、それでもまだまだ待てないことが多い。待つのにはじっと我慢のエネルギーが必要だ。こらえ性がなくなると待てなくなる。若返るためにも待とう。
教科会議、教育相談部会、特別事情検討会議の3つの会議に出席した。そして大いに意見を述べた。いずれも来年度にかかわる議題であった。来年はいないものが意見しても仕方ないが、今見える矛盾など、5年間お世話になった恩返しになるか。もう来年はいないのかと実感して寂しさもある。どうなるか見てみたい気もする。来年いないからと言って、無責任や無関心でいたくない。一番気になったのは上からの決定をそのまま受け入れようという姿勢。賛成であってもチェックする気持ちがなければ組織はよくならないというのは古い考え方か。抵抗勢力と言って排除されるのか。