教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
ジュンク堂で京都の珈琲店の本を見ていると、近くに評判の店があることを発見。さっそく行ってみた。河原町に沿って三条を越えて2筋目を東へ。目立たない玄関である。入るのにちょっと勇気がいる。入ると本に書いてあったようにカウンターだけの6席。先客の男女連れの中年がいるので、少し安心して座った。馴染みの客らしく若いマスターと話し込んでいる。聞きたくなくても会話が耳にはいる。夫婦ではなく、女性は男性を先生と呼んでいたのでどこかの大学の先生か。話の内容はインテリっぽい。ちょっと鼻につく。若い頃の僕なら我慢できなかっただろうが、僕も大人になっていた。その店で、敢えて日記を鞄から出して書き始めた。周囲との会話を遮断した。もちろんマスターとも。客なんだから好きにワガママをさせてもらおう。新たに3人連れの客が来たので先客は去って行った。去り方も気障ではあった。新客もインテリっぽい。そんな客筋の店なんだろう。店内はシンプルというか殺風景というか、そこが茶室っぽくて上品な感じを醸しだしている。いかにもインテリが好みそうなインテリアである。僕にとってはあまり居心地がいい店とは言えない。でも、珈琲は美味しかった。
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丹波で一人暮らししている82歳の叔父が入院したという知らせを受けて入院の手続きに言ってきた。叔父は妻に先立たれ、子どももいない。認知症が酷くなり、ヘルパーによる一人暮らしでは限界になって、月曜日から施設に入所すると言う知らせが昨日あったばかりだった。2年前に従兄弟と2人でさまざまな役所の手続きなどはしたが、それ以来訪れていない。久し振りにあったが、げっそり痩せていて、もともと大きくなかったが、さらに縮んでいるようだった。何とか名前は覚えてくれていたが、記憶は怪しい。もしもの時のことや家の処分についてケアマネージャーに聞いてみた。今話題になっている無縁社会が身内にも起ころうとしている。甥である僕が、かろうじて最低限の手続きをしているが、正直に言って親でもなく、遠方でもあるので、しょっちゅう面倒をみるのは不可能だ。かといって、他の甥や姪も自分の親の介護や生活で一杯である。実の子でさえ面倒を見てくれるかどうかわからない社会の中で、このようなことが急増していくのだろう。我が身の将来は………。
遅ればせながら、今日NHKで放映されていた千葉大学の小林教授の日本版白熱授業を見た。サンデル教授を真似て小林教授が対話式講義をしていた。結論から言えば、好きなことを薄っぺらな根拠でベラベラ話している価値に自分が一丁前の論客になったような気になる。何の知識もつかないのではないか。そう、間違った総合的な学習の授業の大学版である。
今回は武田泰淳の「ひかりごけ」を取り上げて、極限状況で人肉を食べることの是非、アメリカの原爆投下の是非について、対話をしていたのだが、極限状況に陥ったことのない者が対話してはいけないというわけではないが、その状況を十分想像できないままに意見を述べることに何の意味があるのか。原爆投下はもっともっと複雑な条件があったにもかかわらず、そうしたことを全く勉強していない者が好き勝手な思いつきを述べている。戦争犠牲者を冒涜しているのかとも思えた。
対話は確かに思考を深める。しかし、下地になる知識がなければ、上っ面をさっとなぜるようなものだ。こんな授業をされては、正しい知識も深い思考力もつかないだろう。
サンデル教授はスマートだ。小林教授は、エーとかアノーとかが多く、歯切れの悪い講義だったことも、僕の不興の一因である。
今回は武田泰淳の「ひかりごけ」を取り上げて、極限状況で人肉を食べることの是非、アメリカの原爆投下の是非について、対話をしていたのだが、極限状況に陥ったことのない者が対話してはいけないというわけではないが、その状況を十分想像できないままに意見を述べることに何の意味があるのか。原爆投下はもっともっと複雑な条件があったにもかかわらず、そうしたことを全く勉強していない者が好き勝手な思いつきを述べている。戦争犠牲者を冒涜しているのかとも思えた。
対話は確かに思考を深める。しかし、下地になる知識がなければ、上っ面をさっとなぜるようなものだ。こんな授業をされては、正しい知識も深い思考力もつかないだろう。
サンデル教授はスマートだ。小林教授は、エーとかアノーとかが多く、歯切れの悪い講義だったことも、僕の不興の一因である。
初授業。といっても、百人一首のテスト。
上の句が百首印刷してあって、好きな下の句を書くという形式のテスト。記号で結びつけるのでないので、覚えておかないとできない。1、2年の普通クラスで実施した。普通クラスといっても、模擬試験を受ければ偏差値が40台の前半か下手すれば30台か。30分で最低20個はクリアするという条件で、20個に達しない場合は達するまで追試がある。
最後までねばり強く解答する生徒もわずかにいるが、開始5分でギブアップする生徒が多いというレベル。
1年は落ち着かないが追試が10人、2年は静かだが合格が10人、という状態でした。僕は、机間巡視をしながら、ギブアップしかけている生徒にハッパをかけ続けました。こんなのんびりしたスタートでした。
上の句が百首印刷してあって、好きな下の句を書くという形式のテスト。記号で結びつけるのでないので、覚えておかないとできない。1、2年の普通クラスで実施した。普通クラスといっても、模擬試験を受ければ偏差値が40台の前半か下手すれば30台か。30分で最低20個はクリアするという条件で、20個に達しない場合は達するまで追試がある。
最後までねばり強く解答する生徒もわずかにいるが、開始5分でギブアップする生徒が多いというレベル。
1年は落ち着かないが追試が10人、2年は静かだが合格が10人、という状態でした。僕は、机間巡視をしながら、ギブアップしかけている生徒にハッパをかけ続けました。こんなのんびりしたスタートでした。
京都市内の小中学校は今日から始業だが、うちは明日から。連休明けの11日という学校もあるとか。
うちの中2の次女に聞いてみてもうれしくないという。恐らく、他の生徒も同じ気持ちだろう。そして、我々教師もうれしくないというのが正直な感想か。それでおマンマを食わせてもらっているのに不埒な発言である。
うれしくないもの同士が顔を合わせて何が始まるというのか、なんて考えてみても始まらない。嫌なことも我慢してこなしていくのが人間の定めである。我慢の先に希望が見えればいいのだか。
そして、大学院も明日から。こちらの方の学生である私は明日から始まる授業を楽しみにしている。この差は一体何なんだ。学びたくて学ぶ人と、そうでない人の差であろう。学びたい人は何を考えているのか。自問してみると、学ぶことが楽しいから。これに尽きるのですが、その面白さをいかに身につけるかが問題か。
とりえあず、明日行けば3連休などとまた後ろ向きに考えてしまう。
うちの中2の次女に聞いてみてもうれしくないという。恐らく、他の生徒も同じ気持ちだろう。そして、我々教師もうれしくないというのが正直な感想か。それでおマンマを食わせてもらっているのに不埒な発言である。
うれしくないもの同士が顔を合わせて何が始まるというのか、なんて考えてみても始まらない。嫌なことも我慢してこなしていくのが人間の定めである。我慢の先に希望が見えればいいのだか。
そして、大学院も明日から。こちらの方の学生である私は明日から始まる授業を楽しみにしている。この差は一体何なんだ。学びたくて学ぶ人と、そうでない人の差であろう。学びたい人は何を考えているのか。自問してみると、学ぶことが楽しいから。これに尽きるのですが、その面白さをいかに身につけるかが問題か。
とりえあず、明日行けば3連休などとまた後ろ向きに考えてしまう。