忍者ブログ
教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
[73]  [74]  [75]  [76]  [77]  [78]  [79]  [80]  [81]  [82]  [83
今日は、全校一斉の委員会。恥ずかしいはなしながら、30年以上教師をやっているが、委員会活動を指導したのは初めてだ。だから、とても心配だった。身体計測の補助をしてもらうために一度集めたことはある。その時は、全員来てくれて、補助の評判もすこぶるよかった。だから、今回は安心していればいいのだが、そこは教師根性。2度目もうまくいくとは限らない、いや、うまくいくはずがないという危惧が先走る。しかも、今回は委員長や書記局を決めなければいけない。そんなのに立候補してくれる生徒はいないだろうと思うと気が重かった。
ところが、教室に行ってみると、ほぼ全員が来てくれて、学年に分かれて2名の代表を決めさせると、なんとなんと立候補やら推薦やらで、すんなり決まった。残りのメンバーが係の分担を決めたのだが、これも率先して黒板に書きに来てくれ、班長も名乗り出てくれた。
とても気持ちのよい初体験だった。うちの生徒も捨てたもんじゃない。
PR
朝、トイレに1階に降りる時、洗面所の電気が付いていることに気を取られて、階段の最後の2段を踏み外してしまった。たった2段なのだが、左腕を大きく擦りむいて、出血している。右手の肘も痛いのに、踏んだりけったりである。応急手当をして、学校へ。でも、今度は左胸の辺りが痛い。打撲ではなさそう。大きく息をしても痛い所を見ると、どうやら肋骨にひびが入ったらしい。今まで、アキレス腱を切ったことはあるが、骨を折ったことは、バイクで何回か転倒した時にもなかった。それが、階段をたった2段踏み外しただけで、生涯初の骨折をするなんて。体の衰えを感じてしまった。
生徒の進路見学会の一貫として、就職生徒のコースを引率した。
行き先は、ヤクルトと八橋の会社。
ヤクルトは、健康飲料ということで、とくに殺菌を厳重にされている。製造過程はほとんど機械化されていて、ビビフィス菌を生かすために空気を入れない様々な工夫がされていた。
八橋も機械化されているが、生産調整や他種類の商品の生産のために人間の手を必要とする過程もあった。その過程は、機械の速度を調整しながら人間が箱詰めするのだが、次々流れてくる八橋を素早く取って箱に詰めていく作業を続けなければならない。単純であるが根気の必要な仕事であった。誰でもできると思っていたのは間違いであった。
普段は何気なく口にしているものだが、こうして生産過程を見せてもらうと、どんな商品でも簡単にできないことがよく分かった。
教育というのも同じだろう。
今日は母の日。そして、12日が命日なので直前の日曜日。親孝行したい時には親はなし。墓参に行った。右腕の痛みが懸念されたが、午後からは回復に向かい、バイクで、途中花とお供えを調達しつつ墓に向かった。花には当然カーネーションを混ぜた。五月晴れに恵まれ、いい墓参(?)になった。
実家に立ち寄って母の日記を読む。母の日らしい行為である。妻を母の元に連れてきた時の様子が記憶の底から表面に。
その後、陽気に誘われ、自転車で市中に繰り出す。新風館で若者文化(?)に触れる。院生としての特権で、若返りに励む。というより、自然なスタンスが取れたらいい展開になるだろう。
母が亡くなって3年、風呂場で母を見つけた体験は、脳裏に焼きついている。
GWの最終日、今日もいい天気。経済効果という言葉は大嫌いだが、この連休は晴天に恵まれ、外出をした人が多かったのではないだろうか。僕も、陽気に釣られて、かねてから行きたかった大阪の堺へ行ってきた。
堺といえば、仁徳天皇陵と千利休と与謝野晶子。百舌鳥駅で降りてまず、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵へ。奈良の山辺の道を歩いた時の天皇陵をイメージしていた。ところが、堀の周囲は鉄の柵で囲まれ、中の様子は全く見えない。ずっと柵を見ながら2.8㎞を歩いた。
終点から、大仙公園へ。平成に入って作られた日本庭園に入った。日本庭園といえば万博公園を思い浮かべるが、こじんまりとしたまずまずの公園だった。そして、同じ公園内の博物館の横にある伸庵で千利休にちなんで抹茶をいただく。ちょっとした静寂のいい時間だった。
そして、街を歩いて南宗寺へ。ボランティアのおじいさんの説明によると、この寺で徳川家康が後藤又兵衛に槍で突かれて死んだとか。小さなお墓があった。それを見かねて、松下幸之助らが立派なお墓を同じ境内の中に建てた。信憑性は怪しいが、面白い話である。堺という町は経済力があったので、明治になって奈良県を買収したらしい。そして、それを大阪府に合体して、堺が県庁になるはずであった。ところが、政治的な事情があって、ならなかったとか。これも面白い話である。
それから千利休の屋敷跡を見た。ビルの谷間にぽつんとある空き地である。時の権力者である秀吉に持ち上げられて、すとんと落とされ自害に追い込まれた文化人(?)である。文化というのもは、権力者の庇護のもとでしか育たないという悲しい宿命の故である。
その後、堺の港を見た。神女の像は自由の女神に比べることもできないほど小さいが、凛としてと海を見たいた。堺は、千利休や与謝野晶子も有名だが、貿易の盛んな商人の町である。日本の経済を動かし、政治を動かした町である。
最後に与謝野晶子の生家跡のモニュメントを見て、チンチン電車の愛称で知られる阪堺電車に乗って帰ってきた。阪堺電車は、日本では数少なくなった路面電車である。テッチャンではないが、思わず何枚も写真を撮ってしまった。
明日からの日常に備えた、有意義な一日だった。 
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カウンター
リンク
プロフィール
HN:
のぶさん
性別:
男性
自己紹介:
高校の国語の教師
上級教育カウンセラー
産業カウンセラー
キャリア・コンサルタント
ブログ内検索
material by:=ポカポカ色=
忍者ブログ [PR]