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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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前任校で初めて学年部長をした学年の学年会で、1泊2日、大原に行ってきた。
今年で12回目になるのかなぁ。長く続いているものだ。
あの頃はみんな若かった。一人は昨年定年退職されたが、他のメンバーはまだ現役で、僕が最年長。
ということは、本当にあの頃はみんな若かったのだ。
生徒はたいへんだったけど、その分、担任団は纏まっていたのだろう。
卒業させた後、なんと3泊4日で香港に行った。
今では信じられないことである。
年に1回の集まりであるが、単に懐古するのでなく、今を語りあえる。
今の職場でこんな話をできることはない。
もちろん、馬鹿話が大半であるが、そんな馬鹿話をする機会もなくなった。
貴重な集まりである。いつまで続くか、楽しみである。
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冬の恒例行事、持久走大会だった。
冬といえば、マラソンの季節である。
しかし、近年、行事のスリム化で取り止める学校が多くなった。
でも、持久力というか、我慢する力を付けるにはいい行事だと思う。
苦しくても最後まで走り抜く体験は大きな意味があると思う。
本校のコースは、田んぼの中を、男子13キロ、女子11キロ、比較的ゆるい。
男子のトップで50分以内で完走する。
最後尾でも2時間までには帰って来る。
僕は、バイクで通勤している貴重な教員なので、毎年先導である。
前任校から数えれば10年以上やっている。
マラソンでも先導の白バイは花形である。
持久走大会には華はありませんが、生徒が一生懸命走る姿をパックミラーで見ながら走るのは気持ちのいいものです。
末娘が出るというので、宇治市小学校器楽合奏フェスティバルに行ってきた。
娘の学校は、学年全体で合奏と合唱を発表した。まぁ、学習発表会の延長のようなものである。微笑ましい演奏であった。
驚いたのは、他校の演奏である。
娘の小学校にはないのだが、金管バンドやマーチングバンドや鼓笛隊のある学校の発表もあった。
そのレベルが凄い。全国大会に出るほどの学校だからだろうが、
長女の高校の吹奏楽部の発表会のレベルと大差ないように思えた。
演奏もしっかりしていたし、旗などをする演技もよく練習されていた。
小学生でも鍛えればここまでできるのか。
指揮をする顧問の先生も、さもありなんという雰囲気である。
児童の力もあるが、小学生は指導者の力量で凄い力を発揮する。
教育の力を感じた。
ただ、それが望ましい姿であるととは、素直に思えなかった。
国公立の2次試験の指導をしている。
担当している生徒の希望している大学が京都大学である。
わが校としては珍しい、というより合格すれば初になるかもしれない。
そして、長い教師生活の中でも、京大の入試の指導をしたのは初めてである。
京大の試験問題は難しいのか。確かに、数学や英語なんかは難しいだろう。国語は複雑である。
もちろん問題文は平易ではない。記号で答える問題はなく、すべて記述である。記述といっても、抜き出せとか、当てはまる後を入れよとかいう問題ではなく、説明問題である。しかも、字数は指定されておらず、四角で囲われた解答欄の大きさに応じて答えていく。
複雑といったのは、何をどこまで答えるかということである。
ベースは文中の語を組み合わせて答えを作るのだが、それだけでは不十分である。何かを補わなければならない。その何かが何であるか、それを判断するのが難しいのである。
赤本の解答解説を見ながら、生徒の解答を添削する。その赤本の答えも、出題者が作ったものでなく、予備校の講師かが誰かが作ったもので、それが正解でをあるかどうか分からない。
しかも厄介なことは、恐らく採点は複数の人が短時間の内ですることになるから、一定の採点基準はあるのだろうが、曖昧になることは否めない。部分点を与える時は微妙な案配になる。
当然のことながら、単に答えるだけではいけない。採点者が読みやすいように解答を書かなければならない。もっともそれは、コミュニケーションの基本であるが、そうした点にまで配慮しながら解答しなければならないのが受験生の宿命である。
合格してくれればいいのだが。可能性はある。
映画の日。
今月は「ZEN」を見た。
道元の物語で、宋に渡って修行して悟りを開き、
日本に帰って布教する。
ところが、比叡山の酒と女に明け暮れる糞坊主たちが、
自分たちの立場に危機感と嫉妬を覚え、
圧力を掛けたり、挙げ句は寺に火を放つ。
道元は、道を究めるため、永平寺に移り、宗派を成す。
道元の生きた鎌倉時代も、今と同じ、貧富の差の大きな時代。
その中にあって、真理を貫き、道を正す。
宗教で人を救おうとする。
今の時代の宗教は、
創価学会や幸福の科学など、すべてと言っていいほど、
弱者を救うどころか、弱者を食い物にしている。
比叡山の糞坊主と同じである。
信長に焼き討ちされたように、やがて天罰が下るにちがいない。
それはさておき、道元は、時の最高権力者である北条時政にも、
命を捨てる覚悟で意見をする。
そして、見返りは求めずして、鎌倉を去る。
最後は、永平寺で、遺言をし、座禅中に入滅する。
すべてを捨てた時に、自分の中の仏が現れるという。
煩悩にまみれた僕には難しいことだが、
できるだけ、自分にできる人の役に立てることはしたいものである。
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