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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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今夕、埼玉の越ケ谷高校の小林先生はじめ授業改革委員会のメンバーの方とお会いした。
越ケ谷高校は、国公立20名ぐらいの中堅より少し上の学校です。
校長の発令で、授業改善に取り組んでいます。
しかしながら、年輩の先生方も多く、今更授業を改善する必要を感じている先生方は方は少ないそうです。
今回は県外視察の途中で、わざわざ時間を取っていただきました。嬉しいことです。
僕は酔った勢いで好きなことを話しました。
主には「協同学習」についてです。
と言っても、僕も2回だけ研修を受けたに過ぎませんが、
それでも、本も読んでいるし、僕の考えたり、協同学習を取り入れて授業している様子などを話しました。
僕の知っている先生の話もしました。
逆に、いろいろな情報もいただきました。
とても、有意義な時間でした。
放言すると、それが一つの足跡になります。
無理矢理にでも一歩進む時には、これもありかもしれません。
頑張ろう。
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朝、萩から帰って来て、昼前から彼岸の法要で南禅寺へ。強行軍である。
母が亡くなって、二度目の彼岸法要、家長としての務めである。
長男も帰省していたので、末娘と妻と3人で行く。長女は明日からクラブの合宿で練習に行った。
昼食のお膳を御馳走になって、講話を聞き、読経。その間、住職は卒塔婆を読み上げる。その時間40分、今年60歳になるのにすごい体力である。
卒塔婆をいただいて、お墓にお供えしてお参りをする。
帰りに実家に立ち寄る。
地下鉄に乗って、帰宅。長女もクラブを終えて帰ってきた。
萩の土産の夏みかんの丸漬けを美味しくいただいて、
大学へ帰る長男を見送りに、激しく降り出した雨の中を駅へ向かう。
こうした光景は何度目だろうか。
その度に、子どもの成長をかみしめる。
世代交代は徐々に進んでいく。
2日目というか3日目は、萩観光。天気は快晴。やはり天気には強い。
宿で自転車を借りて、藍場川方面に。ここは灌漑用水を引くための人工の川。それを利用して、台所の洗い場にした旧湯川家屋敷、庭に引き込んで流水式池泉庭園にした桂太郎旧宅、川には鯉が泳いでいたり、風情のある地区である。この辺りは20石程度の下級武士、今で言う平社員の家だが、立派なもの。下級武士といえども、人口の5%しかいないので、今なら超一流企業の社員。とすれば、納得できる。
次は中級武士の住んでいた平安古。鍵曲と呼ばれるギザギザの道。進入してきた敵を迷わせ追い詰める仕掛けになっている。その中に田中義一別邸跡がある。橋本川に面していて、塀の一部を開けて船着場にしていたらしい。2階から見る景色もよかった。ここは萩で夏みかんの栽培を始めた場所でもある。昔は、夏みかんの木が3本あれば、子どもを大学までやれたそうである。
宿に引き返す途中、明倫館跡を見学する。表の校舎は保存用であるが、裏にある校舎は今も現役である。小学生たちが遊んでいた。伝統の力を感じる。松陰が幽閉されていた野山獄跡を見て、自転車を宿に返す。
そこから徒歩で、まず昼食。菊が浜沿いにある「海岸通り」。ここは日替わり定食が安くて上手い。土曜日はハッシュドビーフ。
腹を満たして、萩城跡、指月公園へ行く。何もない城跡でした。天守閣跡に昇ろうとした当たりから体が重い、熱っぽい。まずい。風邪の症状。行きの夜行バスで咳き込んでいた人が何人かいて気にはなっていた。しかし、時間はまだ2時前。バスの時間まで6時間ある。見終わっていないスポットもある。
とりえあず休憩ということで、畔亭に入る。ここは網元の家だった建物で、大きな日本庭園がある。2階に通されて、庭を見ながら一息入れる。珈琲を注文する予定で入ったが、メニューを見て、グラスビールに変更。体を更に熱くして発汗しようとしたのだろう。昼間からビールなんて、ほんと旅行気分。日本庭園を見下ろしながら飲むビールの味は格別だった。悠久の時間を過ごす。
思い体を引きずるようにして、高杉晋作旧邸、木戸孝允旧邸、青木周弼旧邸、旧久保田家住宅と見学する。どこでも、庭を見れる縁側で腰を下ろして休憩。ボランティアのガイドさんと語る。京都からきたというと、京都を絶賛してくれる。京都は史跡の宝庫である。でも、萩も小さいながらもよくまとまっていて、観光地としては見やすいと思うと言った。
これで、観光はおしまい。あと4時間。まずは土産物を探す。おみやげ博物館というのに入るが、品数は少ない。末娘にと思っていたキティちゃんのご当地グッズもない。他の店を探そうとしたが、土産物屋そのものがない。観光スポットには幾つかあったが、絶対数が少ない。そういえば、コンビニも見たことがない。そういえば、ガイドさんは、萩は殿様商売というかと嘆いていた。歴代の総理大臣は何人も出したが、それとこれとは別のようだ。そういえば、明日が市長選挙で宣伝カーが走り回っていたが、やたらと連呼するだけで、活気に乏しい感じだった。とりあえず、夏みかんの丸漬けを買う。帰って食べると美味しかった。
夕食は、宿にしようかと考えていた民宿が経営する食堂。確かに、上手くて安かった。あとバスの発車まで2時間足らず。向かいのジャズ喫茶に入って、「世に棲む日日」の最終巻を読み終えて時間をつぶす。体はますます熱っぽい。
バス停で30分ほど待って、ようやくバスに乗り込む。座席に座ると、運転手の真後ろの席。運転手と少し話をして、9時前から寝る体制に入る。体は重いが、少しずつ熱が発散するような感じがしていく内に、寝入ってしまった。
朝、目が覚めると、バスは神戸についていた。体の熱は、下がっていた。驚異的な回復力。遊びに行って熱出して帰ったのでは申し開きができない。大阪は雨。行きも帰りも雨だったが、観光地では天気に恵まれた。
行きも帰りも夜行バスという強行軍であったが、体力はもったし、まだまだ若いと感じた。
去年は佐幕派の会津若松、今年は倒幕派の長州、萩。対照的な土地であるが、どちらも人はよかった。
次は、どこに旅しようか。一つの旅が終わると、すぐに次の旅を考えていた。 
バスで2時間、萩に到着する。雨もやんだ。
終点の手前、松陰神社前で下車する。
萩の第一歩は吉田松陰である。
松陰を20分で知るために、吉田松陰歴史観に入る。
ここには蝋人形が70体余りあって、松陰について解説してくれる。
俗ではあったがよく分かった。
そして、メインの一つ、松下村塾跡。
ここで、高杉晋作や久坂玄瑞らが学び、日本を変える原動力になったと思うと感慨深い、はずだったが、人が多かった。と言う僕もその一人。
松本川を渡って城下に入る。
宿に入る前に、長屋門珈琲に寄る。この店は、珈琲が20種類以上ある。その中で一番深入りの一番苦い珈琲を注文する。美味しかった。店には、店主の趣味で、昔懐かしい玩具が並んでいる。その中にあった。空気を送ると人形が動いて相撲をとる玩具。相撲好きの僕が昔よく遊んだ。当時としては高い玩具で、壊れた後買えなかった。大人になって探したけど、見つからなかった。店主に聞くと、ヤフーのオークションで手に入れたらしい。40年ぶりに遊んだ。
宿は小田旅館。ガイドブックで評判を知って予約しておいた。普段一人旅の時はビジネスホテルに止まるので、旅館に泊まるのこの旅の楽しみの一つ。鄙びた旅館。そこがまた良い。部屋に案内されて、少しすると、お茶と茶菓子を持ってきてくれる。風呂に入って、夕食も部屋に持ってきてくれる。これが豪華。サザエの壺焼き、鯛のお刺身、それに見島牛。汁物も突き出しもお漬け物もすべて美味しかった。これで、1泊2食付で600円は超お得。
夜は『余に棲む日日』を2巻まで読破する。
19日、末娘の卒業式の夜に、夜行バスに乗って津和野へ出発した。
翌朝7時30分に津和野に到着。
喫茶店でモーニングと思ったのが甘かった。
そりゃそうだ、モーニングをしても食べに来る客がいない。
会社へ通勤する人がいるはずもなく、観光客も普通こんな早くに来ない。
駅の売店が開くのを待って、パンと缶コーヒーを買って朝食にする。
まずは森鴎外、林太郎の墓のある永明寺を訪れる。
墓には「森林太郎」とした彫っていない。
数々の栄光を刻みたがるのが有名人であるが、鴎外は遺書の中に、
ただ石見の人として死にたいと書いている通りの墓石である。
猪瀬直樹が、東京の禅林寺の墓には側面の没年に「大正」の元号すらないので、鴎外は「大正」という縁起の悪い言葉を元号にする日本が嫌いであったと書いていたが、東京の墓を見てないので何とも言えないが、本家の墓には「大正」とあるので、猪瀬の説も信じ難くなる。
津和野側沿いを歩き、津和野高校が見えた。
朝、喫茶店を探して歩いていると、野球部員が挨拶してくれた。
校内ではある光景だが、街を歩いていて挨拶するのは、日頃からの気構えがあるから。この挨拶で、一挙に好感を持った。恐るべし、挨拶。
次は、西周旧宅。
川を渡って、森鴎外記念館。展示室は2つ。1室目は、津和野を出てからの鴎外。軍医として文人として活躍する鴎外。ここから、公人としての鴎外と私人としての鴎外に苦しむ。
国語でお世話になっている『舞姫』、
不細工だからといって離婚した登志子の写真、「美術品ラシキ妻」と絶賛した志ずの写真、確かに大差がありました。舞姫の原稿もありました。5人の西洋風の名前を付けた子どもたちの展示もありましたが、なぜ、不律はないのか。
2室目は、津和野時代、10歳までの鴎外。藩校養老館への通学路が当時のことが忍ばれて面白かった。
でも、旧宅の拝観料を含めて600円は高い。
最後は、津和野と言えば殿町通り。この辺りは、人通りが多かった。
ここで、昼前になったので、昼食は、ガイドブックで調べておいた
「蕗の茶屋」でつわぶきご飯。山菜料理でやや高値であるが、旅の思い出である。先客があって、昨日津和野に引っ越してきた家族。
地方に引っ越してくる家族って珍しい。いいことだと思う。
一旦やんだ雨がまた降り出した。
萩を目指して、バスに乗る。
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