教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
1945年、昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れた。正午に天皇の玉音放送があり、国民は戦争の終わりをした。国民にとっては、戦争が終わったというのが時間だっただろう。軍人にとっては戦争が終わった。当時の日本人がどれだけ船橋を知っていたのか、全体はわからない。僕の祖父はちょっとした市井の哲学者らしく、この戦争は負けるから父に生きて帰ってこいと言ったそうだ。父は飛行機乗りで、朝鮮から逃げて帰ってきたと聞いたことがあるが、詳しい話を聞く機会はなかったのが残念だ。母は大阪で空襲に遭い弟の手を引いて焼夷弾の中を逃げ回ったと話してくれたのを覚えている。まさに 九死に一生を得た思いであろう。軍人、特に参謀クラスの人は責任は重い。彼らの無謀な作戦によって日本は悲惨な運命に至った。おそらく八方塞がりの状態であったのであろう。当時の様子を詳しく知っているわけではないので何とも断定できないが、今の頃中の中で国の指導者がと同じ状況ではないか。と思うとなんとも恐ろしい。
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