教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
2021年の始まり。今年は人生で一番の転機を迎える。大学を卒業して教員になった時より、60歳で定年退職して再任用になった時より、なんせ43年間の教師生活からの方向転換である。まだぼんやりしたイメージしかない。あと3カ月で明確にしていく。声がかかるのを待っても当てはない。ならば自力で切り開く。1月から始まる傾聴ボランティア養成講座で何か光明が見えてくるかもしれない。何もしないという選択肢を含めて現実的具体的に考える3カ月の始まりだ。
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大晦日は1年を振り返った日記を書く。手帳をひっくり返しながらエピソードを拾っていくのだが、さすがにコロナで活動量は半分以下である。それでも、コロナの合間を縫ってちょこちょこ動いていた。教師生活最後になる1年、3月はダウン寸前だったところをコロナに救われた感かある。今年度も4月5月は臨時休業だった。都合実質9カ月だった。分相応以下のパフォーマンス、45点ぐらいかな。後悔すればきりがない、諦めないように諦めないようにここまで来た。コロナにもかからず、1年間健康を保てたことを喜ぶべきだろう。あと3カ月、無事これ名馬で行こう。でも、一花咲かせたいね。来年もよろしく。
今年もあと2日。2日したら正月だ。それを目標に今日1日を過ごす。主な時間を過ごしたのが、インターネットでの高校ラグビー観戦だ。家にいながら試合をど時間に見られるのだから便利だ。でも、花園に行って見るのとは違う。試合を見る以上のものがある。時間とお金を使ったということか。あとは散歩と読書。何をするでもなく、時間を消費した。長男が帰省しないのも気が抜けた一因か。尤も帰ってきても寝ているだけだが、やはり、何かが違う。そうした何かが欠けたまま、4月から日々を過ごすのか。
2日目、構えず、人の話をよく聞き、何か湧き出るものがあれば言おうと決めていた。
でも、それほど強く湧き出るものはなかった。それは本当にないのか、蓋が厚くて開かないのか、わからない。もっと掘り下げようとすれば面倒くさいことをしなくてはならない。他の人は自然にそのめんどくさいことをしている。面倒くさいことは生きて行く上で必須なのか。すぃなくていいことなら、怠惰な僕はしないですましてしまうかもしれない。でも、祟りのように襲いかかってくるなら、面倒でもしなくてはならない。カウンセラーを目指すなら、必要だろう。初めからうまくやるカウンセラーはいないと、ファシリテーターの先生はいってくださった。
でも、それほど強く湧き出るものはなかった。それは本当にないのか、蓋が厚くて開かないのか、わからない。もっと掘り下げようとすれば面倒くさいことをしなくてはならない。他の人は自然にそのめんどくさいことをしている。面倒くさいことは生きて行く上で必須なのか。すぃなくていいことなら、怠惰な僕はしないですましてしまうかもしれない。でも、祟りのように襲いかかってくるなら、面倒でもしなくてはならない。カウンセラーを目指すなら、必要だろう。初めからうまくやるカウンセラーはいないと、ファシリテーターの先生はいってくださった。
5年ぶりにするセルフサーチのワークショップに参加した。
セルフサーチとは、精神分析的なベーシックエンカウンターグループのようなものである。
前回参加者ときには、やたら成育歴を問題にして居心地が悪かった。今回、そのことをまず伝えた上で参加した。成育歴の問題も出てきたが、居心地は悪くなかった。僕自身が成長したせいかもしれない。内面への省察が進んだ。日頃考えないような問題を考えた。明日もチャレンジしてみようと思った。
セルフサーチとは、精神分析的なベーシックエンカウンターグループのようなものである。
前回参加者ときには、やたら成育歴を問題にして居心地が悪かった。今回、そのことをまず伝えた上で参加した。成育歴の問題も出てきたが、居心地は悪くなかった。僕自身が成長したせいかもしれない。内面への省察が進んだ。日頃考えないような問題を考えた。明日もチャレンジしてみようと思った。