教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
褒められたり、感謝されたり、謝罪されたり、頼まれたり、相談されたり、ポジティブなメッセージを受けると気分が高揚する。今日いくつかポジティブメッセージを受け取った。今まで沈んでいた心が一気に弾んだ。人間と言うのは単純なものだなと思った。
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我が家で普通自動車免許を持っていないのは僕だけである。もっとも実際車に乗っているのは長男だけで後の3人はペーパードライバーである。僕も教習所に通ったことがある。しかし途中で断念してしまった。表向きの理由は、性格が運転に向いておらず、将来必ず事故を起こすと言うものである。実際適性検査などをすると不適格の結果が出る。イライラして追い越されたら追い返したくなったり、前をノロノロ走っているとそれも追い越したくなる。少しでも隙間があれば入って行きたくなる。先を急ぐせっかちな性格のせいだろう。そんな性格で運転すればいつか必ず事故を起こしてしまう事は明白である。また、車を持てば見栄も出てくるだろう。人の車と比べて惨めな気持ちになったりすることもあるだろう。買い替えにお金がかかることもある。維持費もバカにならない。車は金食い虫なのだ。でもこの年になって、妻と買い物に行けたらなぁとか思ってしまう。といっても65歳を過ぎて免許を取ると言う事はできない。このまま運転免許のない、車のない人生を送るんだろう。
始まったばかりなのに、いや始まる前に決着がついてしまったのか。駆け引きで、以前なら先に切り札を出したものが負けていたように思うが、今回は始まる前にフライング気味に切った切り札がそのまま功を奏してしまった。自民党の、しかも国会議員だけの狭いコップの中での出来事である。選ばれた総裁が日本の総理大臣になるんだと思うと暗たんたる気分になる。何を基準にして総裁を選んでいるのか、誰もが勝てる勝ち馬を先に仕立ててそれにみんなが乗ろうとしている。政策など二の次三の次、いやないのかもしれない。明治時代、議会ができだと時に、民度が低いと言うので選挙権がなかなか与えられなかった。しかし今の政治は政度が低く、被選挙権を与えていいものだろうかと言う疑問さえ湧いてくる。あと2週間、大逆転があるのか。あれば面白いのだが。初戴冠したプロレスラーが叫んだ、物事は一瞬で変わる。一瞬にして決まりかけた結果が、また一瞬にして覆る。そーゆードラマチックなものを見せてくれるんだろうか。
8月31日、今日は8月の最後の日だ。実感は、まだ8月だったのかだ。2学期が始まって今日で1週間しか経っていないのに、かなり時間が過ぎたように思って感じる。もう9月か10 8月30一日、今日は8月の最後の日だ。時間は、まだ8月だったのかだ。2学期が始まって今日で1週間しか経っていないのに、かなり時間が過ぎたように感じる。 8月なのだから暑いのは当然だが、なぜかもう9月も半分過ぎた頃のように思えてしまう。これは僕だけの思いなのだろうか。
18時から河原町五條の「ひとまち交流館」で会議があるので、3時ごろから六波羅あたりをうろついた。宮川町の石畳の両側に並ぶお茶屋を見ながら北上した。お茶屋とは一生無縁な生活をしているんだろう。お目当ては六波羅蜜寺ではなく、その近くにある「ヴィオロン」と言う喫茶店だ。4、5回行った事はある、とても落ち着く黒をベースにしたお店だった。気がかりだったのはGoogle マップで調べても出てこなかったことだ。いぶかりながら現地へ行ってみると案の定お店はなかった。代わりに民泊になっていた。この辺は5軒に1件は町家風の民泊になっている。コロナのご時世でおそらくどこも客は止まっていないだろう。実際この界隈は人通りもほとんどなかった。いつになったら以前の賑わいが戻ってくるのか。店にとっては死活問題だ。しかし、京都人にとってはこの落ち着いた街並みが戻ってきてくれて嬉しい。