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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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いつものように朝早く起き、旅館の近くを散策した。昨日気になっていた行者の修行場である、蝙蝠洞窟と蟷螂洞窟に行ってみた。中に入れるようであったが真っ暗で人もいなかったので思いとどまった。寺の施設では朝から執行している人がいた。僕も行者の道に入ろうかなとちょっと考えたりした。朝食をいただいて、9時に出発した。昨日の逆で洞川温泉から、天川川合まで歩いた。いちどきた道なので短く感じた。やはりコバルトブルーの流れに感動した。道の駅で天川村プリンを買おうと思ったが売り切れていて残念だった。軽い昼食をとってバスで帰った。居眠りしたらしく運転手が駅の前で起こしてくれた。充実した旅であったがさすがに疲れた。
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奈良県の山奥、天川村の洞川温泉に来た。電車とバスを乗り継ぎ、天川川合と言うところでバスを降りて、バスなら20分のところだが、みたらい渓谷の遊歩道を2時間半歩いて洞川温泉へ着いた。コバルトブルーの美しい川を見ながら歩いた。川沿いなので涼しげであった。道のないところにも歩けるように鉄板で道をつけたり、かなり整備されていた。洞川温泉は大峰山の修行者の宿から始まった温泉宿で、遊興施設や飲み屋などの歓楽施設は全くない、健康的な温泉街であった。少し後ろめたかったが強Gotoトラベルの利用して宿泊したので、純和風の旅館、夕食朝食付の贅沢な旅になった。旅館に到着した後もご当地の観光地を回り精力的に動いた。これは僕の旅のスタイルか、滞在型にはなかなかならない。
今年もお盆が終わった。コロナの影響で五山の送り火は中止か縮小かはっきりわからないがいつもとは違うお盆の終わりである。ご先祖様は無事あの世に帰れるのだろうかなどと馬鹿げたことを考えてしまう。それぐらい何もないお盆であった。次女は長期帰ってきたが長男は帰ってこなかった。長女は1日だけ来てくれた。ご先祖様が帰ってきたとしても寂しいお盆であった。やがて僕もあの世からこの世に帰ってくるのだろうか。どこに帰るのだろうか。
1945年、昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れた。正午に天皇の玉音放送があり、国民は戦争の終わりをした。国民にとっては、戦争が終わったというのが時間だっただろう。軍人にとっては戦争が終わった。当時の日本人がどれだけ船橋を知っていたのか、全体はわからない。僕の祖父はちょっとした市井の哲学者らしく、この戦争は負けるから父に生きて帰ってこいと言ったそうだ。父は飛行機乗りで、朝鮮から逃げて帰ってきたと聞いたことがあるが、詳しい話を聞く機会はなかったのが残念だ。母は大阪で空襲に遭い弟の手を引いて焼夷弾の中を逃げ回ったと話してくれたのを覚えている。まさに 九死に一生を得た思いであろう。軍人、特に参謀クラスの人は責任は重い。彼らの無謀な作戦によって日本は悲惨な運命に至った。おそらく八方塞がりの状態であったのであろう。当時の様子を詳しく知っているわけではないので何とも断定できないが、今の頃中の中で国の指導者がと同じ状況ではないか。と思うとなんとも恐ろしい。
立木観音にお参りした。4月の初め、在宅勤務の時に一度訪れたのだが、その時はコロナのため閉鎖されていた。今日はそれ以来のチャレンジだ。炭山を抜けてバイクで25分、走ると立木観音に着く。晴天の宇治川ラインは心地良い。駐車場にバイクを止めて800段余りの階段を上る。所要時間は15分、65歳にしてはそこそこのスピードだ。いつもなら休憩所にゆず茶が用意してあるのだが、コロナの感染予防のために撤去されていた。奥の院まで上り降りは10分あまりで駐車場に着いた。そこからまた炭山を抜けて帰った。この道が細い山道で一方が崖になっている。離合すると少しヒヤリとする。何事もなく到着できてよかった。
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