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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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金曜日から期末試験が始まる。だというのに、授業はまったく緊張感はない。ダラダラと私語が止まない。それを注意しながら、授業はダラダラ進む。中間が悪くて今回も赤点の危機にある生徒も、何とかしなければならないという気持ちは伺えない。逆に、前回点数が良かった生徒も食いついて来ない。それは僕の授業が不味いのだろうか。そうだとしても、試験前はさすがに勉強するものだ。どこが出るのかという質問もあるものだ。ところが、そんな雰囲気は一切ない。要するに、試験なんてどうでもいいと割り切ってしまえばこんな状態になる。そんな難しいことをしているわけではない。というより、本来の半分ぐらいのレベルに下げて、スピードも押さえて授業をしているつもりだ。どうなってしまっているのか。
生徒に尋ねてみた。返ってきた答えは,自分たちにもわからない。何かしらやる気が起こらない。これはかなり不味い状態である。昔からテストで釣るという方法で何とか難局を乗り切った。威しである。しかし、その打算にも走らなくなったら、どうすればいいのか。深刻な問題である。
今日がたまたまそんな日だったならいいのだが。そうでないとしたら、大きく言えば、これからの日本は滅びしかないのか、なんて、大袈裟に暗澹たる気持ちになる。
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院の飲み会でした。指導教官の浅井先生は 奥方の体調不良で参加いただけなかった。
若者の飲み会に参加できるという絶好の機会を逃すまじく、参加した。若者の考え方を吸収すべきというのが大義名分であるが、飲めるというのが、感性を緩められるのが最大の目的か。菜食系の男子が多い。女子も肉食性ではない。その点が、生徒指導との違いか。授業力コースは一般に大人しい。それはそれでいい。実習に行って鍛えられるであろう。それは現職とても日々同じ。終着点はない。誰でも、逞しい教師に育ってほしい。今日はM2にお世話いただいた。微力ながらも、M2の後ろ楯となって、未来の素晴らしき教師が全国に羽ばたくお手伝いができたらと思う。日本人の若者は捨てたもんじゃない。少なくとも、全学連や全共闘の阿呆どもよりはずっとしっかりした人材である。過去の魑魅魍魎に惑わされることがなく日本の未来を支えてくれる人材を育てるのが私の使命かと、酔ってよろめいた瞬間に思った次第である。酔えば大言壮語になる。クワバラ、くわばら。
今日が最終回。前期の授業の中で、一番楽しみな授業だったので寂しい。
毎回授業の初めに構成的グループエンカウンターをするというので、迷わず選択した。期待に違わず、面白い授業だった。
リーダーの立場ですることばかりで、メンバー体験をするのが貴重だった。リーダーも学生がするので拙いことが多かったけれど、それがまた勉強になった。初めはちょっと上から目線で受講していたが、次第に仲間として現役学生と溶け合っていた。それも、講師の先生の力だと思うし、メンバーの力でもあると思う。いろいろな学生がいて、初めちょっと顔をしかめていた学生も、回を重ねる毎にその善さが分かってきた。これも、構成的グループエンカウンターの効果だと思う。
来週からないと思うと、空虚な気持ちになる。それぐらいの授業だった。ありがとうございました。
長女が大学でアコースティック部とやらいうものに入部した。そこで、ギターやキーポートをやるらしい。ところが、高校時代吹奏楽部でクラリネットはしたことがあるが、ギターを弾いたことがない。
そこで、父親の出番である。高校時代買ったヤマハのギターをおもむろに取り出し、ちょっと弾いて見せる。ほとんど忘れていたが、ギターを持つは体が覚えていた。さすがフィンガーピッキングのような指の動きは難しいが、左手でコードはなんとか押さえられる。
僕の若い頃も多くの学生がギターを弾いていたように思う。音痴の僕でさえ、ギターを弾きながら、拓郎や陽水を歌っていたのだから。
ちょっと懐かしい時だった。それが、引き継がれるのがうれしかった。
教育ジャーナリストの品川裕香さんの講演会に、大学院の授業をさぼって行ってきた。「特別ではない特別支援教育の実践」という演題であったが、特別支援だけではなく、最近悩んでいた授業について示唆を得られた。
いきなり、教育の目的は何かと問われた。次に、それを達成する米にはどうすればいいか。そして、その戦略を持っているかと問われた。2つ目までは答えられるが、3つ目が詰まってしまう。それが、教育界の問題だ。企業なら、戦略がなければ利益をあげられない。リサーチをして、プランを立てて、実行して、見直す。
生徒はいずれ社会に出ていく。その時に困らない力を付けること。発達障害を持っているからといって特別扱いしていては、社会に出てから通用しない。だから、普通に扱えというのではない。障害を持った生徒のニーズに応じた教育をすること。そうすれば、必ず伸びる。また、特別扱いするクラスでは、差異による上下関係が発生し、いじめが生じやすくなる。いじめが発生すると、被害者と加害者が次々入れ代わるために、すべての生徒にとって安全で安心な場ではなくなる。
公平で公正なクラストは、誰にでも同じ機会が与えられ、各自のニーズに応じた対応が受けられるクラス。そのためには、クラスの生徒の実態に応じたメタルールが必要になる。いいことはいい、ダメなことはダメと徹底して教える。それは障害の有無に関わらない。それと同時に、基礎体力・基礎学力・モニタリング・自己コントロール、自己決定・責任感・社会貢献の機会を与える。
モニタリングと自己コントロールするには、自己理解を深め、使用できる語彙を増やし、自分の感情を言語化し、自分の感情をコントロールする力を育てる。これは国語の問題でもある。
とはいっても、聞きながら、そんなの無理と思ってしまう。聞きながら想定したのは、発達障害を持つ生徒だけでなく、それに似た症状を呈する多くの生徒達。多動であったり、注意欠陥であったり、コミュニケーション不善であったり。そんな生徒達一人一人のニーズに応じた教育というのは、言うは易いが行うは難い。でも、それが教師の仕事だといわれればその通りなのだ。だったら、雑用を減らせと言い訳してしまう。それも一方ではいいながら、本務の方が気になる。どうすればいいか。やるしかないのだが。
多くの示唆を与えられたエネルギッシュな講演であった。
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