教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
4年前に手術したソケイヘルニア(簡単に言えば脱腸)がまた出てきて、左足の付け根の部分が妙に膨れている。
授業もなくなって時間があるので、また手術をしておこうと、昨夜病院に行くと、今日の午前が前回執刀してくれた医者が担当する診療時間だというので出直した。昨日の時点で予約の空き時間が10時30分だったが、朝一番に行けばもう少し早く予約の隙間に入れるかもしれないとのことだったので、予約しなかった。
そして今日、8時前に入って診察カードを取った。診察は9時から始まった。いつ呼ばれるのかいつ呼ばれるのかと待つが、10時半を過ぎてもお呼びがかからない。辛抱を切らして看護婦さんに尋ねると、11時以降になるという。話が違う、と言っても予約が優先なのはわかってはいる。それでも辛抱できずに帰った人もいる。
昼から特色選抜入試があるので気が気でない。ようやく11時30分に診察してもらった。3週間後ぐらいには手術をしてもらえるだろうと思っていたら、空いているのは来月末だという。まぁ、担当の医者は誠実な人だったので、こちらも冷静に話ができた。でも考えてみると、こっちは3時間半イライラして待っていたが、医者はその間働きづめで休憩時間もない。診療室を出るとまだ沢山の患者が待っているということはこれから後も延々と診察労働を続けなければならないということだ。
医者も、特に勤務医の労働条件の厳しさはすさまじいものだ。と思うと、待ち時間も仕方がないと思う。もっとも、おかげで本が1冊読めてしまった。
授業もなくなって時間があるので、また手術をしておこうと、昨夜病院に行くと、今日の午前が前回執刀してくれた医者が担当する診療時間だというので出直した。昨日の時点で予約の空き時間が10時30分だったが、朝一番に行けばもう少し早く予約の隙間に入れるかもしれないとのことだったので、予約しなかった。
そして今日、8時前に入って診察カードを取った。診察は9時から始まった。いつ呼ばれるのかいつ呼ばれるのかと待つが、10時半を過ぎてもお呼びがかからない。辛抱を切らして看護婦さんに尋ねると、11時以降になるという。話が違う、と言っても予約が優先なのはわかってはいる。それでも辛抱できずに帰った人もいる。
昼から特色選抜入試があるので気が気でない。ようやく11時30分に診察してもらった。3週間後ぐらいには手術をしてもらえるだろうと思っていたら、空いているのは来月末だという。まぁ、担当の医者は誠実な人だったので、こちらも冷静に話ができた。でも考えてみると、こっちは3時間半イライラして待っていたが、医者はその間働きづめで休憩時間もない。診療室を出るとまだ沢山の患者が待っているということはこれから後も延々と診察労働を続けなければならないということだ。
医者も、特に勤務医の労働条件の厳しさはすさまじいものだ。と思うと、待ち時間も仕方がないと思う。もっとも、おかげで本が1冊読めてしまった。
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中1の次女が、大手の塾に行っているのだが、今までは英数しか受けていなかったが、3月から国語も加えることにした。国語は学校の試験は暗記になってしまい、力がつかないと判断したからだ。
で、今度は、理社のお誘いがあった。難関高校の合格者の平均と不合格者の平均の差で、最も大きいのが理社であるというグラフを根拠にした勧誘である。確かにデータ的にはそうである。かくして、5教科すべて塾に行くことになる。確かにこの塾は、多くの受講生を抱えているので、入試のデータとノウハウは豊富である。もっとも効率の良いテキストや方法で教えていくのだろう。そうして、多くの子どもが難関校に入っていく。
が、その難関校の中でもトップの高校の先生に聞くと、その学校の生徒のほとんどが高校に入っても塾通いをしている。それは、より高度な内容を学ぶためではなく、自分で勉強できない体になっているからだという。つまり、塾漬け、麻薬と一緒である。何から何まで教えてもらう。与えられた膨大な課題を課題をこなしていくことには長けているが、自分で考えて勉強する力は削ぎ落とされているのだ。
振り返ってみれば、僕も小学校6年では塾に行っていたが、地元の公立中学に入ってからは塾に行っていない。社会が好きだったので、自分で参考書などを読んでまとめたりしていた。問題集や参考書も数が少なかったので、「中1コース」の付録なんかを利用していたことを思い出す。自分で自分なりの学習法を考えて実行していたのだ。
こうした学習法は今になっても生きている。多くの人も同じ体験をしていたのではないだろうか。
情報化社会になって、ある物事を達成するのに必要な情報が整い、マニュアルが確立して、それに従えば最短距離で目的地に到達できるようになった。でも、その代わりに失ったものは、とてつもなく大きいのではないだろうか。
もっとも、本来なら難関校に入れないような子どもが入るためには、こうしたシステムが必要だろう。地アタマのよい子どもはこんなことをしなくても入れる。機会の平等という観点からすれば(塾費が賄えるかどうかの平等はさておいて)、公平な競争と言えるのか。
で、今度は、理社のお誘いがあった。難関高校の合格者の平均と不合格者の平均の差で、最も大きいのが理社であるというグラフを根拠にした勧誘である。確かにデータ的にはそうである。かくして、5教科すべて塾に行くことになる。確かにこの塾は、多くの受講生を抱えているので、入試のデータとノウハウは豊富である。もっとも効率の良いテキストや方法で教えていくのだろう。そうして、多くの子どもが難関校に入っていく。
が、その難関校の中でもトップの高校の先生に聞くと、その学校の生徒のほとんどが高校に入っても塾通いをしている。それは、より高度な内容を学ぶためではなく、自分で勉強できない体になっているからだという。つまり、塾漬け、麻薬と一緒である。何から何まで教えてもらう。与えられた膨大な課題を課題をこなしていくことには長けているが、自分で考えて勉強する力は削ぎ落とされているのだ。
振り返ってみれば、僕も小学校6年では塾に行っていたが、地元の公立中学に入ってからは塾に行っていない。社会が好きだったので、自分で参考書などを読んでまとめたりしていた。問題集や参考書も数が少なかったので、「中1コース」の付録なんかを利用していたことを思い出す。自分で自分なりの学習法を考えて実行していたのだ。
こうした学習法は今になっても生きている。多くの人も同じ体験をしていたのではないだろうか。
情報化社会になって、ある物事を達成するのに必要な情報が整い、マニュアルが確立して、それに従えば最短距離で目的地に到達できるようになった。でも、その代わりに失ったものは、とてつもなく大きいのではないだろうか。
もっとも、本来なら難関校に入れないような子どもが入るためには、こうしたシステムが必要だろう。地アタマのよい子どもはこんなことをしなくても入れる。機会の平等という観点からすれば(塾費が賄えるかどうかの平等はさておいて)、公平な競争と言えるのか。
臨床動作法の研修会。最終回の今回は、僕がリクエストした躯幹ひねり。背中の筋肉を緩める課題である。かつて、ギックリ腰に苦しんだ時に、この課題が大いに役立った。横向けに寝て、腰を支えてもらい、背中を倒していく。その時、顔が付いてきているか、腰に余分な力が入っていないかをチェックしてもらう。
腰の緩め課題も教えてもらって、体がリフレッシュした。
腰の緩め課題も教えてもらって、体がリフレッシュした。
潔いというより、日本という国への愛想尽かしだろう。
そこまでされるなら、もう執着する気も尽き果てた。
つまり、彼は日本を見捨てたのだ。日本は、彼に見捨てられたのだ。
無定見なマスコミのバッシング、そして、自ら身を引くとなると、彼の涙を大写しにする、ハイエナ、蛆虫ども。
日本という国を滅ぼすのは、マスコミである。そして、マスコミに踊らされる政治家である。
そこまでされるなら、もう執着する気も尽き果てた。
つまり、彼は日本を見捨てたのだ。日本は、彼に見捨てられたのだ。
無定見なマスコミのバッシング、そして、自ら身を引くとなると、彼の涙を大写しにする、ハイエナ、蛆虫ども。
日本という国を滅ぼすのは、マスコミである。そして、マスコミに踊らされる政治家である。
昨日の雨から一転して、快晴とは言えないが、曇天ながら寒くもなく暑くもなく、絶好のマラソン日和。男子19㎞、女子16㎞。以前は、峠を1つ越えると言うハードなコースだったが、その道は大型トラックが頻繁に通り危なくなったので、コース変更になり、アップダウンのない街中を2周回ると言う楽なコースになった。とはいえ、走る生徒は苦しい顔。一生懸命さが伝わる。でも、諦めて歩いている子もいる。我慢と言うか、苦しみを乗り越えるいい体験であると思う。しかし、新コースも道が狭く、交通量も増えたので、存続の危機である。