教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
生徒の進路見学会の一貫として、就職生徒のコースを引率した。
行き先は、ヤクルトと八橋の会社。
ヤクルトは、健康飲料ということで、とくに殺菌を厳重にされている。製造過程はほとんど機械化されていて、ビビフィス菌を生かすために空気を入れない様々な工夫がされていた。
八橋も機械化されているが、生産調整や他種類の商品の生産のために人間の手を必要とする過程もあった。その過程は、機械の速度を調整しながら人間が箱詰めするのだが、次々流れてくる八橋を素早く取って箱に詰めていく作業を続けなければならない。単純であるが根気の必要な仕事であった。誰でもできると思っていたのは間違いであった。
普段は何気なく口にしているものだが、こうして生産過程を見せてもらうと、どんな商品でも簡単にできないことがよく分かった。
教育というのも同じだろう。
行き先は、ヤクルトと八橋の会社。
ヤクルトは、健康飲料ということで、とくに殺菌を厳重にされている。製造過程はほとんど機械化されていて、ビビフィス菌を生かすために空気を入れない様々な工夫がされていた。
八橋も機械化されているが、生産調整や他種類の商品の生産のために人間の手を必要とする過程もあった。その過程は、機械の速度を調整しながら人間が箱詰めするのだが、次々流れてくる八橋を素早く取って箱に詰めていく作業を続けなければならない。単純であるが根気の必要な仕事であった。誰でもできると思っていたのは間違いであった。
普段は何気なく口にしているものだが、こうして生産過程を見せてもらうと、どんな商品でも簡単にできないことがよく分かった。
教育というのも同じだろう。
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今日は母の日。そして、12日が命日なので直前の日曜日。親孝行したい時には親はなし。墓参に行った。右腕の痛みが懸念されたが、午後からは回復に向かい、バイクで、途中花とお供えを調達しつつ墓に向かった。花には当然カーネーションを混ぜた。五月晴れに恵まれ、いい墓参(?)になった。
実家に立ち寄って母の日記を読む。母の日らしい行為である。妻を母の元に連れてきた時の様子が記憶の底から表面に。
その後、陽気に誘われ、自転車で市中に繰り出す。新風館で若者文化(?)に触れる。院生としての特権で、若返りに励む。というより、自然なスタンスが取れたらいい展開になるだろう。
母が亡くなって3年、風呂場で母を見つけた体験は、脳裏に焼きついている。
実家に立ち寄って母の日記を読む。母の日らしい行為である。妻を母の元に連れてきた時の様子が記憶の底から表面に。
その後、陽気に誘われ、自転車で市中に繰り出す。新風館で若者文化(?)に触れる。院生としての特権で、若返りに励む。というより、自然なスタンスが取れたらいい展開になるだろう。
母が亡くなって3年、風呂場で母を見つけた体験は、脳裏に焼きついている。
新・新とヘンであるが、新パンの会というのは北原白秋の主宰した会を、以前の名称として使っていたが、中心になっている先生が変わられて、それを引き継いだ形で発足したので、こんな名称になったらしい。
これは30年以上続いている、京都教育大学の国文科の研修会である。卒業生や現役学生や院生が集まり、実践を発表し、質疑応答するというもので、かなり突っ込んだ話までする。今回のテーマはイーザーの読書論について。僕は名前も聞いたことがなかったが、読み込んでいらっしゃる先生が何人もいて、勉強不足を恥じた。読書とはテクストだけでも、読者だけでも成り立たない。その融合した所に成立する。大切なものは、レパートリー(奥行き)、ストラテジー(戦略)、語り手、登場人物、筋、虚構の読者、イメージ、空所(想像の余地)、否定性(どんでん返し)である。というもの。そういえばそうだなと思う。
メンバーに、大学の同級生で、今年から教師を辞めて、この大学の院で発達障害について勉強している旧友に会った。入学式でも挨拶したが、互いの向学心に驚いていた。
これは30年以上続いている、京都教育大学の国文科の研修会である。卒業生や現役学生や院生が集まり、実践を発表し、質疑応答するというもので、かなり突っ込んだ話までする。今回のテーマはイーザーの読書論について。僕は名前も聞いたことがなかったが、読み込んでいらっしゃる先生が何人もいて、勉強不足を恥じた。読書とはテクストだけでも、読者だけでも成り立たない。その融合した所に成立する。大切なものは、レパートリー(奥行き)、ストラテジー(戦略)、語り手、登場人物、筋、虚構の読者、イメージ、空所(想像の余地)、否定性(どんでん返し)である。というもの。そういえばそうだなと思う。
メンバーに、大学の同級生で、今年から教師を辞めて、この大学の院で発達障害について勉強している旧友に会った。入学式でも挨拶したが、互いの向学心に驚いていた。
学級経営の授業のフィールドワークで、小学校を訪問して4年生の授業を見せていただいた。子どもの授業参観で何回か行ったことはあるが、また違った視点で見ることができた。
普通の小学校だが、驚いたことは、子どもたちが授業に集中して、楽しんでいること。日直が、まず本時のめあてを言う。漢和辞典を引く授業だったが、子どもたちは早く引きたくてウズウズしている。それを我慢させるのに、辞書の上に筆箱を置かせる。そして、黒板を使ってクイズのような質問を出す。子どもたちは我勝ちに一斉に手を挙げる。そうして、十分に仕掛けをしておいて、辞書を開けさせる。初めは一人一人で、次にグループで辞書を引く。この小学校は、国語の授業を使って、集団作りを試みている。黒板にも集団学習の手順が貼ってある。子どもたちも慣れたもので、すぐに席を移動して、司会も自分たちで決めて作業を始める。先生の指導の賜である。授業の最後まで、子どもたちは辞書を引き続けていた。
その後、授業された先生を囲んで質疑応答をした。参観者の学生は現役の教師ばかり。かなり突っ込んだ鋭い質問が飛び交った。充実した時間であった。
雨の中をバイクを飛ばして高校に帰り、午後の授業をする。その落差に、覚悟はしていたものの愕然とする。子どもたちは、授業に対するあのキラキラした目を、いつ、どこで、なぜ失ってしまったのか。深く反省する。
普通の小学校だが、驚いたことは、子どもたちが授業に集中して、楽しんでいること。日直が、まず本時のめあてを言う。漢和辞典を引く授業だったが、子どもたちは早く引きたくてウズウズしている。それを我慢させるのに、辞書の上に筆箱を置かせる。そして、黒板を使ってクイズのような質問を出す。子どもたちは我勝ちに一斉に手を挙げる。そうして、十分に仕掛けをしておいて、辞書を開けさせる。初めは一人一人で、次にグループで辞書を引く。この小学校は、国語の授業を使って、集団作りを試みている。黒板にも集団学習の手順が貼ってある。子どもたちも慣れたもので、すぐに席を移動して、司会も自分たちで決めて作業を始める。先生の指導の賜である。授業の最後まで、子どもたちは辞書を引き続けていた。
その後、授業された先生を囲んで質疑応答をした。参観者の学生は現役の教師ばかり。かなり突っ込んだ鋭い質問が飛び交った。充実した時間であった。
雨の中をバイクを飛ばして高校に帰り、午後の授業をする。その落差に、覚悟はしていたものの愕然とする。子どもたちは、授業に対するあのキラキラした目を、いつ、どこで、なぜ失ってしまったのか。深く反省する。
GWの最終日、今日もいい天気。経済効果という言葉は大嫌いだが、この連休は晴天に恵まれ、外出をした人が多かったのではないだろうか。僕も、陽気に釣られて、かねてから行きたかった大阪の堺へ行ってきた。
堺といえば、仁徳天皇陵と千利休と与謝野晶子。百舌鳥駅で降りてまず、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵へ。奈良の山辺の道を歩いた時の天皇陵をイメージしていた。ところが、堀の周囲は鉄の柵で囲まれ、中の様子は全く見えない。ずっと柵を見ながら2.8㎞を歩いた。
終点から、大仙公園へ。平成に入って作られた日本庭園に入った。日本庭園といえば万博公園を思い浮かべるが、こじんまりとしたまずまずの公園だった。そして、同じ公園内の博物館の横にある伸庵で千利休にちなんで抹茶をいただく。ちょっとした静寂のいい時間だった。
そして、街を歩いて南宗寺へ。ボランティアのおじいさんの説明によると、この寺で徳川家康が後藤又兵衛に槍で突かれて死んだとか。小さなお墓があった。それを見かねて、松下幸之助らが立派なお墓を同じ境内の中に建てた。信憑性は怪しいが、面白い話である。堺という町は経済力があったので、明治になって奈良県を買収したらしい。そして、それを大阪府に合体して、堺が県庁になるはずであった。ところが、政治的な事情があって、ならなかったとか。これも面白い話である。
それから千利休の屋敷跡を見た。ビルの谷間にぽつんとある空き地である。時の権力者である秀吉に持ち上げられて、すとんと落とされ自害に追い込まれた文化人(?)である。文化というのもは、権力者の庇護のもとでしか育たないという悲しい宿命の故である。
その後、堺の港を見た。神女の像は自由の女神に比べることもできないほど小さいが、凛としてと海を見たいた。堺は、千利休や与謝野晶子も有名だが、貿易の盛んな商人の町である。日本の経済を動かし、政治を動かした町である。
最後に与謝野晶子の生家跡のモニュメントを見て、チンチン電車の愛称で知られる阪堺電車に乗って帰ってきた。阪堺電車は、日本では数少なくなった路面電車である。テッチャンではないが、思わず何枚も写真を撮ってしまった。
明日からの日常に備えた、有意義な一日だった。
堺といえば、仁徳天皇陵と千利休と与謝野晶子。百舌鳥駅で降りてまず、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵へ。奈良の山辺の道を歩いた時の天皇陵をイメージしていた。ところが、堀の周囲は鉄の柵で囲まれ、中の様子は全く見えない。ずっと柵を見ながら2.8㎞を歩いた。
終点から、大仙公園へ。平成に入って作られた日本庭園に入った。日本庭園といえば万博公園を思い浮かべるが、こじんまりとしたまずまずの公園だった。そして、同じ公園内の博物館の横にある伸庵で千利休にちなんで抹茶をいただく。ちょっとした静寂のいい時間だった。
そして、街を歩いて南宗寺へ。ボランティアのおじいさんの説明によると、この寺で徳川家康が後藤又兵衛に槍で突かれて死んだとか。小さなお墓があった。それを見かねて、松下幸之助らが立派なお墓を同じ境内の中に建てた。信憑性は怪しいが、面白い話である。堺という町は経済力があったので、明治になって奈良県を買収したらしい。そして、それを大阪府に合体して、堺が県庁になるはずであった。ところが、政治的な事情があって、ならなかったとか。これも面白い話である。
それから千利休の屋敷跡を見た。ビルの谷間にぽつんとある空き地である。時の権力者である秀吉に持ち上げられて、すとんと落とされ自害に追い込まれた文化人(?)である。文化というのもは、権力者の庇護のもとでしか育たないという悲しい宿命の故である。
その後、堺の港を見た。神女の像は自由の女神に比べることもできないほど小さいが、凛としてと海を見たいた。堺は、千利休や与謝野晶子も有名だが、貿易の盛んな商人の町である。日本の経済を動かし、政治を動かした町である。
最後に与謝野晶子の生家跡のモニュメントを見て、チンチン電車の愛称で知られる阪堺電車に乗って帰ってきた。阪堺電車は、日本では数少なくなった路面電車である。テッチャンではないが、思わず何枚も写真を撮ってしまった。
明日からの日常に備えた、有意義な一日だった。