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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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丹波町に叔父が独り暮らしをしているのだが、先々日役場から電話があって、痴呆がかなり進んでいるので来てほしいと連絡があった。
従兄弟と二人で今日行ってきた。
痴呆はかなり進んでいて、1分前に言ったことも覚えていない。
でも、僕のことは分かるし、完全にはぼけてはいない。
家の中は荒廃していて、異臭が漂う。
トイレや洗面所や炊事場の槽には水がたまっていたり、
部屋は埃が浮いていたり、
風呂には長らく入っていなかったり、
下着だけでなく上着も長い間着替えていなかったり、
食事も十分していなかったり、
蛍光灯が切れていたり。
「男やもめに蛆がわく」というが、正にそのとおりだった。
役場の方も、子どもでもない親戚が、こんなに早く駆けつけたことに感謝されていて、いろいろ便宜を図ってくださり、今日1日で、痴呆の診断を受け、ケアマネージャと契約して、ヘルパーを頼んで帰ってきた。
この世知辛い世の中、子どもでも親の介護をしない中にあって、
甥に当るものが面倒を見ると言うのは、希有なことなのかもしれない。
でも、これが血のつながりだと思う。
かなりの負担であるが、やらざるをえない。
昔に比べると介護制度も充実していて、
僕が老後同じような状況になっても、なんとかなりそうな気がした。
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民主党の小沢代表の秘書の逮捕。
政治家なんて所詮金だね、と評論している場合ではない。
なぜこの時期にと考えなければならない。
当然政局がらみである。
仕掛けたのは自民党の総裁か。
いや彼にはそんな力はないだろう。
こうなることは薄々知らされていたかどうかもわからない。
では、小沢が失脚して、民主党が負けて笑うものは誰か。
この一連の小沢の発言に神経をピリピリさせていたものは。
日本が変わることを好まないものは。
検察を動かす力のあるものは。
小沢が100%いいとは言えないが、日本人に与えられた選択の機会を奪われる。
いつものことながら、その先棒を担ぐのがマスコミである。
彼らには学習能力はない。
国を思う志もない。
これは日本の危機である。
3月2日、本校最後の卒業式が挙行された。
来年隣の高校と統合されるので、最後の卒業生になる。
例年どおり、校長から一人一人の生徒に卒業証書が手渡される。
当時では、読んだ男子生徒が何度も涙で途切れた。それが、生徒の思いをよく伝えていた。

式後、教室で最後のホームルーム。
記念品を配布して、一人ずつ改めて卒業証書を手渡し、最後の講話をした。
何を語ろうか、1週間前から考えていたが、宿泊研修会で、自分のキャリアと言うか生い立ちを語ればいいじゃないかとサジェスチョンを受けた。
これは一つキャリア教育だ。
全体のテーマは「失敗を恐れるな」である。
畳屋の長男として生まれ、父の働く姿を見ながら育った。
最初の失敗は、付属高校の入試に落ちたこと。でも、その時の友だちの慰めに感動したことから日記を書き始めた。その日記を生徒の前で読んだ。
公立高校に入って彼女ができた。でも、知らない間にふられていた。その未練をタラタラ書いているのも、恥ずかしながら読んだ。
大学入試についても、家の経済状態や親が家業を継ぐことを密かに期待していたこと、一期校には見事に落ちたことなどを話した。
大学卒業後の就職についても、入学当初は教師になろうとは思っていなかったが、教育大学だったのでか、企業は受けずに教員試験だけを受けたこと。その直前に父が亡くなったこと。1年間講師をして次の年に採用試験に合格したことなどを話した。
そして、今思えば教師は天職だったこと。
そこから広がって、「おくりびと」と重ねて、偶然にしろ、自分の置かれたところで一生懸命にやれば、やり甲斐が見つかることなどを話した。
そして、火葬場の老職員の言葉を引用して、「また会おうな」で締めた。

これで終わろうとしたら、生徒が立ち上がって、一人ずつ1年間のクラスへの思いを述べ、次いで僕の前に来て、花を一輪渡しながら、メッセージをくれた。ありがたい言葉ばかりだった。
昔の僕なら、裏を読んだり、割り引いて聞いていたが、
年輪を重ねたせいか、プラスのストロークはそのまま受け取るようになった。いい気持ちだった。
ホームルームを終了した後、撮影大会になった。

これで、うちの学校では5年間で3回目の卒業生。
今年もいい思いをさせてもらった。
映画の日。「おくりびと」を見た。
アカデミー賞を受賞しただけあっていい映画だった。
去年なくなった母親のことや30余年前になくなった父のことが重なって何度も涙が出てきた。
僕は親を弔っただろうか。

納棺士の仕事は、亡くなった人を生前の最も美しい姿に戻して、旅立ちの餞をする仕事。人間の尊厳を守る仕事。
友だちからも、妻からさえも最初は理解されないが、その仕事を目の当たりにすると、その厳かさに心を打たれる。

主人公が納棺士になったのは、オーケストラの楽団が解散になり、故郷に帰って職を探しているときに見た求人広告「旅のお手伝い」。旅行代理店か何かと思って行ってみると、納棺士の仕事だった。広告は「旅立ちのお手伝い」の誤植。
でも、社長は彼を一目見るなり採用を即決した。他に求人がなかったと言うのもあるだろうが、社長は大事なことは直観で決めるから。後で本人が社長に聞いても「運」としか答えない。
職業なんて事実そうなのかもしれない。なりたい職業についた人もいるだろうが、何となく就くことが多い。
問題は、就いてからどうするか。納棺士の仕事は人からは蔑視の対象になる仕事だし、妻からは「子どもに堂々と言えるのか」と問い詰められ、離婚も迫られる。でも、彼は社長の仕事を見て、自分もやっている内に納棺士の仕事に誇りを持ち始める。
それは、納棺士という仕事と言うより、社長の仕事ぶりだろう。本当に死者を弔う気持ちが社長の仕事にこもっていたからだろう。
つまり、どんな仕事でも、心を込めて人の役に立てば、その仕事が天職になる。
教師と言う仕事は、それが得られやすい仕事である。

もう一つ、「石文」。
言葉のなかった時代、自分の気持ちにふさわしい形の石を交換することで気持ちを交流し合っていた。
彼の父は彼が6歳の時に女を作って蒸発した。
彼は父の顔を覚えていないし、父を激しく憎んでいる。
でも、一度だけ父と交換した石とその記憶だけは覚えている。
最後の場面で、父が死んだと言う知らせを受け、迷った挙げ句に駆けつける。
憎んでいた父であったが、葬儀屋が粗末に扱う様子に耐えきれず、自分で納棺をする。
固く握りしめられていた父の手を開くと、彼が幼い時に交換した石がしっかりと握られていた。
最後の最後に親子の気持ちが通じ合った。
日本学校教育相談学会京都支部の宿泊研修会。
初の試みだが、非常によかった。
1泊するとゆっくりと語ることができる。
宿舎も、ホテルピアザびわこ。大津プリンスと琵琶湖ホテルの間にあり、眼前に琵琶湖が広がり、その向こうに、比叡山や比良山や伊吹山が臨める最高のロケーション。部屋からも風呂場からもその景色が一望できる。
1日目は、総会をした後、春日井先生の講義。教師の役割として、子どもの対応だけでなく、子どもと子ども、子どもと親を繋ぐこともある。
その親と子どもの関係が危うい。今の経済状態や雇用状態から、親の二極化が進んでいる。不安定層の親は子どもの教育まで手が回らず、富裕層の親は我が子をスーパーキッズに仕立てるべく過剰な期待をかける。
そして、子どもの教育については自己責任を突きつけられる。困った時のお互いさまという精神がなくなっている。
そこを繋ぐのが教師である。能力レベルの肯定感ではなく、存在レベルの肯定感を。それはお互いにプラスになる関係である。
教師が子どものためにすることで、子どもからエネルギーをもらう。依存と自立。
まぁ、教育の原点なのだが、今それが失われつつある。
夜は、交流会兼懇親会。
参加者が自分について語る。今までしてきたこと、これからしたいこと。
自分のことをじっくり語り、それに耳を傾けてもらえる機会が極端に少なくなっている中で、貴重な時間であった。多くのやる気をもらった。
2日目は事例発表。2人の方の発表があったが、2人とも自分の役割を役割以上に果たしていらっしゃった。見習うべき点が多々あった。僕もやらなきゃと思った。
認めてもらえるに越したことはないが、それでなくても、やりたいことがやらせてもらえないのは当たり前で、自分の役割をきっちり果たすことが大切である。そのうち、ちゃんとやっていると運も向いてくるだろう。不遇を託っている内は運もやってこないだろう。
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