教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
授業で毎週、マークセンス式の問題集をしているのですが、
今日の漢文の問題は、今までで一番難しい問題でした。
そこで、やる前に、「今日の問題は今まで一番易しい問題です」と言って始めた。
解説の最初に、謝りました。
だますつもりはないけれど、暗示がどれぐらい効くか実験ですといって解説をした。
結果は、なんと今までで2番目に高い平均点で、満点の生徒もいました。
感想に、「だまされた、でも、簡単だと思ってやると案外良い点が取れるものだ。必要以上に苦手意識を持たないで臨む方がいいのかもしれない」というものが多かった。
勿論、暗示が効かず、いつものように点数の悪い生徒もいましたが、
何人かの生徒には効果があったようです。
思い込みというのは大きいですね。
でも、それをうまく利用すると、良い効果がでます。
「叱るより褒めろ」とは、まさにこのことですね。
今日の漢文の問題は、今までで一番難しい問題でした。
そこで、やる前に、「今日の問題は今まで一番易しい問題です」と言って始めた。
解説の最初に、謝りました。
だますつもりはないけれど、暗示がどれぐらい効くか実験ですといって解説をした。
結果は、なんと今までで2番目に高い平均点で、満点の生徒もいました。
感想に、「だまされた、でも、簡単だと思ってやると案外良い点が取れるものだ。必要以上に苦手意識を持たないで臨む方がいいのかもしれない」というものが多かった。
勿論、暗示が効かず、いつものように点数の悪い生徒もいましたが、
何人かの生徒には効果があったようです。
思い込みというのは大きいですね。
でも、それをうまく利用すると、良い効果がでます。
「叱るより褒めろ」とは、まさにこのことですね。
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ノンパーバルなコミュニケーションについて。
まずは、「ハイ、ポーズ」。2人組になって、一人が「ハイポーズ」と言いながら次々ポーズを変えていく。
相手はそれを素早く真似していく。
単純なゲームですが、面白がってやっていました。
それから講義で、「NLP」の理論を使って、相手の認識パターンの観察の仕方を説明する。
これも興味を持って聞いてくれた。
そして、さっきの2人組で、座る位置や距離をいろいろ試した後、傾聴の実習。
と言っても、悪い聞き方の練習。
6種類のミッションカードを与えて、聞き手はそのミッションどおりの態度で聞く。
腕組みをしたり、ふんぞりかえったり、相手を見なかったり、にらみつけたり。
悪い聞き方のオンパレードのゲーム感覚でやる。
そうしておいて、正しい聞き方のフォームをレクチャーすると、スルスルと入っていく。
位置、距離、表情、しぐさ、声など、ノンバーバール要素を説明する。
生徒はいちいち納得するように、聞き入ってくれた。
生徒にとっても、教師にとっても、至福の授業でした。
僕の授業の特徴の一つは、構成的な板書でした。
国語の先生の板書は、思いついたことを書くパターンが多いのですが、
僕の場合は、矢印を使ったり、囲みを入れたり、図示的な板書を心がけていました。
生徒の評判のまずまずなのですが、板書を写すことで満足してしまう生徒が増えてきたような気がしていました。
僕は、板書を使って説明しているつもりなのですが、生徒は板書をノートに写すことに多くの精力を使い切っているようなのです。
そこで、一考しました。
いま、「危険な共生」という評論をやっているのですが、これが、たいへん論理的なよい教材です。
思わず芸術的な板書をしたくなるような。
ここが我慢のしどころ。
第1段落は見本のつもりで、いつものように板書をするが、第2段落以降は板書をしないことを宣言。
第1段落で僕がどのような点に工夫して板書するかを見ておくように指示した。
そして、今日がその第2段落。
1ページ程度の範囲ですが、僕が構造がわかるような丁寧な質問を繰り返し、生徒が答えていく。
答えは、教科書に線をひいたり、ノートにメモしたり。
そして、10分ほど残したところで、講義は終わり、後は、ノートにまとめる時間にした。
それまでの授業をじっくり聞いて、自分がわかりやすいように、できれば人が見てもわかりやすいようにまとめさせる。
生徒は一生懸命やっていました。
僕にしては珍しくノートを回収しました。
どんなノートを作っているのか。千差万別、でもどのノートもポイントはしっかりとらえている。
よく理解しているように思いました。
僕の板書法を継承しているようなノートもあって、なかなか論理的に理解している跡が見受けられました。
良いノートを作らせるには、それまでの授業をわかりやすい、論理的なものにする必要はありますが、
生徒がもう一度自分の頭で考えて、再構築するので、理解がぐんと深まります。
国語の先生の板書は、思いついたことを書くパターンが多いのですが、
僕の場合は、矢印を使ったり、囲みを入れたり、図示的な板書を心がけていました。
生徒の評判のまずまずなのですが、板書を写すことで満足してしまう生徒が増えてきたような気がしていました。
僕は、板書を使って説明しているつもりなのですが、生徒は板書をノートに写すことに多くの精力を使い切っているようなのです。
そこで、一考しました。
いま、「危険な共生」という評論をやっているのですが、これが、たいへん論理的なよい教材です。
思わず芸術的な板書をしたくなるような。
ここが我慢のしどころ。
第1段落は見本のつもりで、いつものように板書をするが、第2段落以降は板書をしないことを宣言。
第1段落で僕がどのような点に工夫して板書するかを見ておくように指示した。
そして、今日がその第2段落。
1ページ程度の範囲ですが、僕が構造がわかるような丁寧な質問を繰り返し、生徒が答えていく。
答えは、教科書に線をひいたり、ノートにメモしたり。
そして、10分ほど残したところで、講義は終わり、後は、ノートにまとめる時間にした。
それまでの授業をじっくり聞いて、自分がわかりやすいように、できれば人が見てもわかりやすいようにまとめさせる。
生徒は一生懸命やっていました。
僕にしては珍しくノートを回収しました。
どんなノートを作っているのか。千差万別、でもどのノートもポイントはしっかりとらえている。
よく理解しているように思いました。
僕の板書法を継承しているようなノートもあって、なかなか論理的に理解している跡が見受けられました。
良いノートを作らせるには、それまでの授業をわかりやすい、論理的なものにする必要はありますが、
生徒がもう一度自分の頭で考えて、再構築するので、理解がぐんと深まります。
前の農水大臣が、自殺という教育上最低の死に方をしたのと同様、
今の農水大臣も、嘘の上塗りという教育的に愛悪のお手本を示している。
父親や知り合いが、何気なく聞かれた時に答えた正直な答え。
覆水盆に返らず。
それをいくら言い繕ったって、誰も信用しない。
それで、言い逃れられるなんて、どんな頭をしているのか。
生徒がタバコを吸っていて、その時は素直に認めた。
しかし、次の日になって、「やってねーよ」と居直る。
そんなことが通用するのか。
大臣のやっていることも同じ。
しかも、自分の親を嘘つきに仕立て上げてしまった。
親孝行の観点からも、最低最悪の人間だ。
今の農水大臣も、嘘の上塗りという教育的に愛悪のお手本を示している。
父親や知り合いが、何気なく聞かれた時に答えた正直な答え。
覆水盆に返らず。
それをいくら言い繕ったって、誰も信用しない。
それで、言い逃れられるなんて、どんな頭をしているのか。
生徒がタバコを吸っていて、その時は素直に認めた。
しかし、次の日になって、「やってねーよ」と居直る。
そんなことが通用するのか。
大臣のやっていることも同じ。
しかも、自分の親を嘘つきに仕立て上げてしまった。
親孝行の観点からも、最低最悪の人間だ。
今日から新わーく。役立ち感は過去最高。期待の高さがわかります。いきなりのジブリッシュ、面食らったでしょう。タモリの4カ国語マージャンネタですが、今の高校生、まして女子の知る所ではありませんが、話すととても興味をしてしてくれました。というつかみをして、アクティブ・リスニングのポイントを説明していくと、これは使えるという気持ちが高ぶっていくのが感じ取れました。しかも、マイクロカウンセリングの階層図を利用した図を提示して、もっともらしく仕立てました。よくできた図だと思います。そして、実習として話題探し。「話題」を「語りネタ」とネーミングしました。「語る」という語は奥行きがあっていいですね。発散法のマッピングとウェビングを駆使して一生懸命探していました。
詳細は、http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/soudan/jikokeisei.html
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