教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
1年生で古典文法の授業をしている。動詞を教えている。活用の種類、見分け方を教えて、実際に問題を解説して、理解を確かめるために練習問題をする。論理的な組み立てである。普通にやればできるはずである。しかし、「普通」が通じない。生徒は「わからない」の一言でやろうとしない。理解させられない教師の責任もある。でも、それにしても、理解力が低い。そして、わからないものをわかろうとしない。論理的な思考力以前の問題である。そしてこれこそが問題の根幹である。授業を中断してゆっくりと話をしたのだが、やろうとしない。生徒は、板書を写したりする作業はする。しかし、自分でものを考えようとはしない。大きく言えば、社会に出て役に立つのかと思ってしまう。
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院の授業で発表した。テーマは「生徒指導と学級経営」。自分の過去の取り組みを振り返ってレポートするという課題。32年の教師生活の中で19回担任をした。その取り組みを思い返してみると、いろいろのことが思い浮かぶ。成功より失敗の方が多い。具体的なエピソードを元にして発表するという手もあった。
しかし、折角の発表なのだから、そういう在り来りのものにはしたくなかった。自分の実践を振り返る絶好の機会ととらえて、一般化した上で自分のしてきたことが整理できるものにしようとした。さらに、文章でダラダラと書くのでなく、図解化を試みた。
その上で、僕の生徒指導は何だろうと振り返った。出てきた答えは、やはり教育相談だった。治療的にせよ、開発的にせよ、教育相談の手法が僕の実践の根幹であった。
自分なりには、満足のいく発表だった。
しかし、折角の発表なのだから、そういう在り来りのものにはしたくなかった。自分の実践を振り返る絶好の機会ととらえて、一般化した上で自分のしてきたことが整理できるものにしようとした。さらに、文章でダラダラと書くのでなく、図解化を試みた。
その上で、僕の生徒指導は何だろうと振り返った。出てきた答えは、やはり教育相談だった。治療的にせよ、開発的にせよ、教育相談の手法が僕の実践の根幹であった。
自分なりには、満足のいく発表だった。
朝、切った庭木を拾おうとして、屈んだ瞬間、背中の下あたりにヒリッという痛みが走り、やってしまったと思った。ギックリ腰である。最近はなかったのだが、久し振りである。しかし、動けなくなるほどの重傷ではなく、日常生活はなんとかできる程度ですんだ。
最初のギックリ腰は14年前、長女を行水させようと、縁側から庭においてある水槽に抱き下ろした時であった。まだ、その時は歩けなくなるほどではなかった。2回目は、クリスマスイブの夜、これまた長女を抱いたまま起き上がろうとした時だった。この時は、重傷で、そのまま動けなくなった。1ミリでも動こうものなら激痛が走った。それで数日寝たきりだった。ようやく動けるようになって、トイレで用を足して立ち上がろうとした時に、第2波が来て、さらに数日寝たきりの状態が続いた。それから、学校で模造紙に糊付けしようとして屈んだ瞬間に激痛が走り、そのまま動けなくなって、ワゴン車で家まで搬送してもらったりした。その後は、動けなくなるほどのものはなかったが、ちょいちょいヒリッと来ることがあった。
ぎっくり腰はいつ来るかわからない。運動不足だったり、一定の姿勢で長時間いたりする時に起こりやすいとは言うが、そんな時必ずではない。体が硬い人にはよく起こるらしい。それに、これは僕の私見だが、ストレスにも関連していると思う。しかし、最近はストレスを感じていないので、この説は当てはまらないようである。
右腕の柄痛みも治っておらず、そろそろ体中にガタが来始めているようである。
最初のギックリ腰は14年前、長女を行水させようと、縁側から庭においてある水槽に抱き下ろした時であった。まだ、その時は歩けなくなるほどではなかった。2回目は、クリスマスイブの夜、これまた長女を抱いたまま起き上がろうとした時だった。この時は、重傷で、そのまま動けなくなった。1ミリでも動こうものなら激痛が走った。それで数日寝たきりだった。ようやく動けるようになって、トイレで用を足して立ち上がろうとした時に、第2波が来て、さらに数日寝たきりの状態が続いた。それから、学校で模造紙に糊付けしようとして屈んだ瞬間に激痛が走り、そのまま動けなくなって、ワゴン車で家まで搬送してもらったりした。その後は、動けなくなるほどのものはなかったが、ちょいちょいヒリッと来ることがあった。
ぎっくり腰はいつ来るかわからない。運動不足だったり、一定の姿勢で長時間いたりする時に起こりやすいとは言うが、そんな時必ずではない。体が硬い人にはよく起こるらしい。それに、これは僕の私見だが、ストレスにも関連していると思う。しかし、最近はストレスを感じていないので、この説は当てはまらないようである。
右腕の柄痛みも治っておらず、そろそろ体中にガタが来始めているようである。
学校に帰って、今度は校内研修である。朱雀高校の学び直しの話を聞く。総合的な学習の時間を使って、各教科から寄せられた課題を1冊の分厚い本にして生徒に渡し、自学自習をさせるもの。内容は、中学程度のもので、自力でできるもの。たしかに、こういう取り組みの必要性を感じる。それには、先生方の理解と協力が必要である。あの分厚い冊子は、その証明でもあったのだ。生徒の様子を聞いていると、本校と変わらない。やればできる。朱雀には伝統があるが、伝統は築いていくものである。
何の問題かと思うが、保護者の理不尽な苦情や要求に対する問題解決である。全国に先駆けて、支援チームをつくった、京都市教育相談センターパトナで所長であり、生徒指導課長である桶谷先生の話を聞いた。
小野田先生と同じく、理不尽な要求をする保護者をモンスターと呼ばずに、協力者としてとらえるというスタンスだった。それでも、できないものはできないときっぱり言う、初期の対応や体制が大切であることを、豊富な事例を元に分かりやすく話してくださった。このチームは、教師を守るためのものではなく、敷いては子どもの教育を保障するという目的のために作られたチームである。教師が理不尽な要求に疲弊して、本務である教育に専念できない状況を解消するためのものである。今まで、教育委員会は教師を管理するだけのものというイメージがあったが、こういうチームの話を聞くと、少しやる気が沸いてくる。ただ、チームを作っても、トップに立つものの度量や力量が問われると思った。
小野田先生と同じく、理不尽な要求をする保護者をモンスターと呼ばずに、協力者としてとらえるというスタンスだった。それでも、できないものはできないときっぱり言う、初期の対応や体制が大切であることを、豊富な事例を元に分かりやすく話してくださった。このチームは、教師を守るためのものではなく、敷いては子どもの教育を保障するという目的のために作られたチームである。教師が理不尽な要求に疲弊して、本務である教育に専念できない状況を解消するためのものである。今まで、教育委員会は教師を管理するだけのものというイメージがあったが、こういうチームの話を聞くと、少しやる気が沸いてくる。ただ、チームを作っても、トップに立つものの度量や力量が問われると思った。