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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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すごい本だった。
清掃活動、ボランティアなど、道徳活動として「素晴らしい」活動である。
しかし、その裏に、権力者による悪の魂胆が隠されている。
つまり、国民の懐柔である。
その最たるものが、「心のノート」である。
国民の公共心の低下を防ぐべく作成された「心のノート」。
主旨としては、もっともなことである。
公共心、道徳心の低下は、国民誰しも感じていることである。
しかし、教科の教科書ですら、検定制度の元複数の教科書が存在する。
それを、日本全国の小学校中学校に共通のテキストとして、配布される。
当初は、好きな時に好きなように使えたらしいが、膨大な予算をかけて作ったもの、当然、目的は強制的に使用することである。
現場の先生は真面目な先生が多いから、なんとか使いこなそうと努力する。(幸か不幸か、高校には降りて来ないが、降りてきていれば僕も工夫して使っていた)。
その実践授業も多くなされてきた。その中で、水を凍らせて氷の結晶を作るのに、美しい言葉の上に一晩置いた結晶はきれいに六角形になるが、汚い言葉の上にはきれいな結晶ができないという「水からの伝言」という、いかがわしいテキストをもとにした実践がある。非科学的だが、感動を呼ぶ授業である。それを教育委員会が絶賛している。しかも、国会でも公明党のタレント議員が取り上げて称賛している。
感動は大切だが、思考を停止させる危険性もある。
裏を読めば、思考を停止させるために、感動を必要以上に強調する。
これが国家戦略として意図されている。

この状況は、アメリカの追随である。
1,980年代、スプートニクショックで、アメリカは教育を建て直そうとする。その時に導入されたのが、「キャラクター・エデュケーション(人格教育)」である。
学力を下支えるのは、愛国心、それを育てるのが道徳教育、そのためのキャラクター・エデュケーションである。
そして、今は、新保守主義(ネオコン)の流れの中にある。
それが教育に現れたのが、インテリジェット・デザイン(ID)である。
ダーウィンの進化論は、適者生存の理論として、ナチスなどに優生学として利用された。
インテリジェット・デザインは、進化論の自然淘汰を否定し、森羅万象は知的存在(造物主)によって作られたと主張する。
「神」と言う言葉を隠蔽しようとしているが、旧約聖書の世界に逆戻りであることは明々白々である。
知的存在の導きによってこと、人々は幸せに生きることができる。
一般ピープルは、何も考えずに、知的存在にすべてを委ねるべきである。
その知的存在の代弁者が、政治家と経営者の支配階級である。
かれらは、支配のために「心」というキーワードを巧みに使う。
政治的、経済的な現実問題も、すべて心の問題として片付けようとする。
すべては気の持ち方で何とかなると思い込ませる教育である。

斎藤氏の書いていることは事実であるが、判断として正しいかどうか、それは僕自身が判断しなければならない。
心理学を勉強し、その一部分を授業で取り入れている立場として、
自分の足元をしっかり見つめ直さなければならない。
役に立つから、面白いから、というだけではなく、その目的を、もっと深い所から問い直さなければならない。
知ってか知らずか「知的存在」の走狗になっている学者や教育者と同じ轍を踏まないように。

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これも非正規雇用の問題である。
正社員になれなくて、解雇されるひと。
正社員になったはいいが、酷使される人。
その正社員を管理している管理職も、企業の利益のために飲み込まれている。
管理職になると、勤務時間に上限がなくなり、残業手当もつかなくなる。
その分経営に参画できるかといえば、与えられる権限はほとんどない。
つまり、残業代を払わずに、長時間タダ働きさせるための方便である。
企業は、利益をあげるために、そういう隙間をついてくる。
とすれば、誰が得をするのか。
企業だというが、企業ってなんなのか。
社長や一部の取締役役員だけか。
彼らも本当に得をしているのか。
だれも得をしない社会って、おかしい。
一度は廃案になったが、
ホワイトエグゼンプション。
正社員が自由に労働時間帯を選べるという。
しかし、本当のねらいは、名ばかりの管理職と同じ。
労働者を搾取することしか考えない、経営者や政治家。
江戸時代の士農工商の武士は人口の5%しかおらず、
彼らがその他の95%を支配していた。
そんな時代になっているのだろうか。
副題は、「お金がない人を助けるには」。
と問いかけた小学校5年生に答えるという設定になっている。
経済学ではなく、「的なセンス」で考えようという面白い試み。
しかし、いきなり、背の低い奴は収入が低いだの、もてないだの、
地震に対する備えは地震保険に入ることだの、早く引っ越してしまえだの。
最後にフォローしているつもりが、まったくなっていない。
経済学の本にありがちな数字の羅列はないものの、
出所や信憑性のわからないアンケートや、いきなりの絶対的な前提条件によって、強引に話を進める。
一つの問題を、あーだ、こーだ、そーだ、どーだとコネ繰り回す。
キーワードはインセンティブ(意欲)。
これって経済学?
安物の社会心理学じゃないのか。
小学校5年生は、聞く相手を間違えたようだ。
筆者のセンスを疑う。
TBSテレビの番組。
4時間半もあって、
前半はドキュメンタリー、後半はドラマで、
太平洋戦争をふり返る。
今日が、その「主人公」の東條英樹の命日だという。

前半を見ている限り、アメリカ=被害者、日本=加害者。
無差別空襲や原爆を落とされても、日本が悪。
真珠湾攻撃は卑劣な手段で、アメリカの優秀な人物が、アホな日本の暗号を解読していた。
その責任は東條英樹個人にある。
僕には、というように聞こえてしまうような内容にとれた。
それが、優しげだが押しつけがましい松嶋菜々子のナレーションで語られるから、ムカムカして聞いていた。

しかし、後半のドラマに入ると、
無責任にもその地位を投げ出した近衛文麿の後、
突然首相に任命された東條が、
陸軍と海軍と天皇の間にはさまれて右往左往しているようすが描かれていて、リアリティーがあった。
東條一人で国が動くはずがない。
衆愚とも言える有象無象が、自分たちの利益だけを主張し合った結果、
全体としては、最も不幸な、冷静になって考えればわかるような最悪の方向に走っていく。
そこには、日本だけの事情だけでなく、
同盟国の状況や、
敵国であるアメリカの謀略などが張りめぐらされている。
勧善懲悪で片付けられる問題ではない。
状況を煽ったマスコミの力も大きい。
東條役のビートたけしは、かなり太めだったが、
無能であるが、天皇には誠実であろうとする、東條をよく演じていた。

最後に、戦後、徳富蘇峰から話を聞くという役回りの新聞記者が、感想を持ってまとめる。
当然、内情を知っていた者の責任は重大である。
だからといって、知らなかったものには責任はないのか。
いや、知ろうとしなかった責任はある。
ふり返れば、そうだろう。
高所から見ればそうだろう。
でも、当時の国民に、真実を知る手段はあったのだろうか。

そういうことを踏まえて、今がある。
歴史は過去の過ちから学ぶためにある。
今こそ、あの戦争はなっ立ったのか、
同じ過ちを犯さないために何ができるかを考える時である。
同じ過ちとは、戦争への道だけではない。

首相の座を投げ出した近衛は、安倍、福田と重なる。
首相の器でないのにその座に座って右往左往している東條は、麻生に重なる。
そして、マスコミは、真実をどれだけ伝えているか疑問である。
しかし、国民はあの頃と違って、正しい情報を得ようと思えばえることはできる。
しかし、その意欲は、あの頃以上に衰退しているかもしれない。
その意味で、価値のある番組であった。
産業社会を支えているのはエネルギー。
その大部分を石油が担っている。
経済の中心というか、基盤である。
その価格は、かつては消費国のメジャーと言われる超大企業が支配していた。
その後、産油国がイニシアチブを取るようになった。
そして、今は、先物取引の優良商品となり、
投資家がその価格を左右するようになった。
一部の企業が価格を左右して、一部の企業だけが儲けるのは問題である。
しかし、少数なら協議の余地もあり、
儲けもあるが、将来を見据える視点も生じる。
それが、不特定多数の投資家の手に委ねられると、
儲けることだけに主眼が置かれ、将来どうなるか、どうするかを考えることはなくなる。
こんな大事な資源が、市場の欲望に大きく影響される。
これが、資本主義、市場主義である。
そういう意味では、タイトルの通りである。
でも、世界はそれだけで動いているのだろうか。
心とかの問題じゃなく、
経済も石油だけで読めるのか。
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