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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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アクティブラーニングの展開の仕方として2種類ある。
1つは、何回か一斉講義型の授業をした後に、まとまった時間をとってアクティブラーニングを実施するもの。ディベートとか、調べ学習とか。これを非日常型、イベント型と名付けておこう。
もう1つは、毎回の授業にわずかな時間でもよいので必ずアクティブラーニングを組み込むもの。ペア学習とかグループ学習とか。これを日常型、ルーティン型と名付けておこう。もちろん、何回かルーティン型のアクティブラーニングの授業をした後にイベント型をすることも考えられる。
ほとんどの学校で、すべての先生が、イベント型はされたことかあるだろう。今話題になっているのは、日常的なルーティン型のアクティブラーニングである。毎日、少しでもいいから、一斉講義型の授業を中断して、生徒が主体的能動的に学ぶアクティブラーニングの時間を設けることである。
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今週号の『AERA』の特集、「今の勉強ではもう通用しない」。東大合格のトップの超進学校の今後を占う記事である。どの学校でも、一斉授業は姿を消し、アクティブラーニングである。
文部科学省がいうところのアクティブラーニングに必ず付いてくる言葉は、「国際化社会」「知識基盤社会」「高度情報化社会」である。たしかに世界のエリートと互角に渡り合える人材の育成こそ国の急務である。しかし、そのレベルの子どもは全体のどれぐらいいるのだろう。大学進学率が50%強として、その大学の中には「Fランク」と呼ばれる大学が含まれているのだから、「大学生」と呼べるのは40%もいるのだろうか。その上位層5~10%程度か。そして、大学進学できない、しない子どもが50%弱。
これらすべての子どもに、文部科学省のいうところの「上からのアクティブラーニング」が必要なのだろうか。というのが素朴な疑問である。
そんなとき、『協同の学びをつくる』(三恵社)の柴田好章(名古屋大学大学院准教授)氏の文章にであった。氏は、現在の教育が「格差の固定化を前提とした教育」になっていないかと警鐘を鳴らしている。低位に位置づけられた人々は、ストレスの代償としてわずかな金銭を得て、そのわずかな金銭で金を使う側になる。この悪循環を繰り返す。しかも、個として振る舞う。学校教育では、乖離させられた個と個のつながりを強化する以外に、この悪循環を断ち切る方法はない。そこで必要になるのが、協同の学び、アクティブラーニングである。「学校で一つのテーマについて協議し、問題解決した経験が社会に生きる」と言う。「下からのアクティブラーニング」である。
と考えるならば、同書で水野正朗(名古屋市立桜台高等学校)氏が言うように、「教育困難校だから話し合いなどとてもさせられないなどの理由で、知識伝達型の一斉授業が多くを占める高等学校の授業」から脱却しなければならない。
リクルートの『キャリア・ガイダンス』405号に掲載されていた、神奈川県立藤沢清流高校の実践を見てみよう。藤沢清流高校は単位制普通科で718人の学校である。大学進学は55%である。
1年国語総合(古文)では、漢字テストの後、基礎文法について講義、設問をグループで話し合い、解答と理由をホワイトボードに記入して、発表する。グループの全員が説明できることが目的である。説明は以前と変えていないのに、説明がわかりやすくなったという意見がある。
1年コミュニケーション英語では、単語テスト、配布されたプリントをグループで音読、全員起立して音読、内容をグループごとに教え合い、意見をとりまとめて発表する。授業の初めに毎回アクティブラーニングの意義を説明する。
1年現代社会の授業では、経済動向について講義、グループに分かれて「非正規雇用と景気の関係」について話し合い、意見をホワイトボードにまとめる。巡回しながら生徒の理解を確認する。質問を投げかけて会話を弾ませたり、時間を区切る工夫をしている。歴史では事前に知識が必要になるので方法を変える必要がある。
2年古典B(漢文)の授業では、小テスト、ペアやグループで読み方や書き下し文を教え合う。一つ一つの作業をストップウォッチで計っている。
2年数学Ⅱの授業では、板書された問題に対して生徒が自由に発言する。わかった生徒とわからない生徒で席を移動させグループを作り、解答の導き方をホワイトボードにまとめさせる。講義型でも生徒が声を出したり頭を動かす時間が必要。そして生徒の答えはほめる。

生徒の目の輝きが違ったり、意欲が目に見えて上がったり、やる気のない生徒が激減した。しかし、グループワークになじめない生徒もわずかながらいる。先生方も準備のために負担が増える。教員の温度差もある。

けっして学力の高くない学校での3年計画の取り組みである。講義とグループワークの組み合わせを工夫している。どの授業も単に答えを求めるだけでなく、理由や考え方を説明できるように目標設定している。これはかなり高度な目標である。一朝一夕には行かないが、生徒も徐々に慣れてきている。工夫を加えながら継続することの必要性を感じる。
教師のための教育事典「EDUPEDIA」の「アクティブラーニング入門」のサイトと非常によくできている。
アメリカの大学改革から生まれた歴史から、それか日本の小中高へ導入される経緯が簡単に説明してある。「教える」から「学ぶ」へのパラダイム転換の一環から必然的に発生したのであるなら、受け止めざるを得ないと納得できる。
とはいえ、現場の教師は不安である。その疑問にも的確に答えている。従来やってきた発問の多い生徒に考えさせる授業、すこしでもグループ活動を取り入れた授業、それがすでにアクティブラーニングである。
要するに大切なことは、学習者を受動的な学びのスタイルから能動的な学びのスタイルに転換させることである。
それならば、極端に話、かつて宮城教育大学の林竹二学長がなさった、一言も発問しないが生徒の頭や心の中がぐるぐる展開するような授業もアクティブラーニングになるのか。
講義だけでなく、書く、話す、発表するなどのアクティブな活動が加わって、初めてアクティブラーニングになるのである。
授業の最初に、その時間のゴールとプロセスを明示して、自分たちが学ぶ意義と筋道を理解させておいた上で、ペア学習や協同学習の手法を取り入れながら、授業を展開していく。
そのためには、深い教材研究と授業デザインと、個々の生徒やグループの力をうまく引き出すファシリテーションの技術が必要になる。
そして、その前提にある重要なものが、安心して自分の意見が発表できる環境設定である。まずしなければならないのは、技法の修得ではなくインフラ整備である。

この記事のもっとも優れたところは、従来型の授業を否定していないところです。アクティブラーニングが成立するのは最も必要なものは、実は、十分な知識と情報です。これなくしていくらグループ学習をしても空理空論の空中戦に終始してしまうおそれがあります。その講義の時間をいかに効率的にして、アクティブラーニングの時間を捻出するのか、そういう授業デザインが必要になります。より深い教材研究によって教材を分析し、何を、どのように提示していくのかを綿密に組み立てていく必要があります。
リクルートマーケティングパートナーズが1月29日に発表した調査結果によると(http://www.recruit-mp.co.jp/news/library/pdf/20150129_01.pdf)、アクティブラーニング型授業を実施している高校は47.1%に上り、実施していない高校(33.5%)を上回ることが、より明らかになった。全国すべての全日制高校の進路指導主事4,838人を対象に実施し、1,140人の回答を得た。進学率が高いほど実施率が高く、大学・短大進学率70%以上の高校では56.6%が実施している。また、高校所在地別に見ると、南関東で59.9%、北陸で54.8%、北海道で51.9%と半数を超える。

すさまじい普及速度である。でも、何を以てアクティブラーニング型授業とするかによって、数も大きく変動するだろう。とことんアクティブラーニングしている授業もあるだろうし、ちょこっとアクティブラーニングという授業もあるだろう。
それに面白いのは、進学率の高い=学力の高い学校ほど実施率が高いということである。逆に言えば、教育困難校、あるいは低意欲の生徒の多い学校で、主体的な学びであるアクティブラーニングの実施は困難というか、教師が二の足を踏んでしまうということだろう。
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