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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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4月1日の朝刊に人事異動の一覧が載っている。
毎年、朝刊が待ち遠しい日。
今年は、僕の名前が載っている。
東稜高校に転勤になりました。
5年前まで12年間勤務していた学校で、定年まで勤務すれば19年間、
教師生活が22歳から60歳まで38年とすると、その半分を東稜で勤めることになる。主になってやろう。

西宇治高校が城南高校と統合して城南菱創高校になるので、全員が転勤対象で、その中の6割程度がスライドする。
あと7年、よしんば新しい学校に残ったにしても5年間勤めた累積は残るだろうし、定年までに1回転勤の可能性がある。後わずかになっての転勤はきつい。
それに今回はたぶん特需で、希望している学校に行ける可能性が高い。
京都市内の高校に変わりたいと思っていた。それは、実家に近いことと、地域調整手当が違うからだ。
そこで、母校の洛東に公募、FAしたが、見事落とされた。
やはり噂通り、この制度は事前の根回しが必要なのか。校長による引き抜きか、校長と相談した上での申請か。一見さんはお断りなのだろう。
まぁ、最後は母校のために仕事ができたらいいなぁという程度のものなので、大きなショックはない。
それと近隣の学校を2つほど書いた。今回はその1つに転勤になったわけだが、もう1校は人気校なので予想の範囲内であった。
2月頃にFAが不調和だったことを告げられ、希望の範囲を広げるように言われて、少し広げた。組合の強い伝統校2つと伝統校だが進学もバリバリやっている学校。組合の強い伝統校なら、実家を通り過ぎていくのでいつでも立ち寄れるかなと思った。それに、街中だし。

17日、高校入試の発表と同じ日に、もう一つの発表があった。
それが、人事異動の内示である。
そこで、東稜高校と言われた。
まぁ、第1次の希望の範囲に収まったわけだ。少し、環境の変化があってもいいなぁという気はあったが、全く不満はない。
23日に東稜高校に呼ばれた。懐かしい先生方が、「おかえりなさい」と声をかけてくれた。嬉しかった。
校長の話では、最近しんどい状態が続いているが、あと1年で底を脱すると言っていた。
分掌希望は、一任で出した。与えられた仕事を一生懸命しよう。
そして、紆余曲折があって、2日後に電話があって、その3年の学年部長をしてほしいということだった。
2年まで部長をしていた先生が、介護休暇に入られることは聞いていた。
その先生には、僕が東稜で最後の年に、転勤してきたばかりの所を無理を言って3年に入ってもらったという大きな借りがあった。
また、その先生は同い年で、互いに新任の年に八幡高校で勤めた仲で、僕が勝手にライバルと思い込んでいた、僕の中では、そして実際も最高に素晴らしい先生だ。
これを断れば男が廃る。電話で即刻受諾した。恩返しができる。不思議な縁である。
27日、東稜で引き継ぎをした。
まず、校長先生に経緯を聞いた。納得のいく説明をしていただいた。
苦労された担任の先生方も全員持ち上がっていただいた。
僕がやりやすいように、事前の調整もしておいてくれた。
本当に歓迎していただいた。胸が熱くなった。
恐らく、しんどいことが多くあるだろうが、僕の真価が問われる1年になるだろう。

2年前に、校内の芸術展の色紙に書いた石川啄木の歌。
「こころよく我に働く仕事あれ
それを仕遂げて死なんと思う」

頑張ろう。
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