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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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9日間かかって「1Q84」を2冊読破した。朝の書道も中断し、家にいる時間の大半をこれに使った。1時1句を丁寧に拾いながら小説を読むのはいつ以来だろう。それぐらい丹念に大切に読んだ。
ここであらすじを言ってしまうのは反則なので、バクっとした感想を。
やはり村上春樹だった。現実とのパラレルワールド、非現実なのだが、それがかえって現実的である。多くの意味を含んでいそうで、あいまいなイメージの世界にある。しっかりした伏線が引かれていて、突然、都合の良いことは起こらない。それでいて、最後の最後まで、その糸がどのように絡まっていくのか予断を許さない。まだ、絡まり切れていない糸が残されているような余韻。
名作かどうかわからないが、集中して読ませる力のある作品であることは確かだ。
僕も流行の先端にある。学校の図書館に入ったのインサイダーまがいで借りたので、早く返して、生徒に読ませなくては。
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瀬尾まいこのエッセイ、「ありがとう、さようなら」「見えない誰かと」を読んだ。とても、すがすがしい気持ちになった。心が洗われるとはこういう心境だろう。
彼女は京都府の北部の中学校で国語の教師をしている。同業者だ。彼女の小説はすべて読んだ。とても温かい小説だ。
エッセイには、彼女の教師としての体験が書いてある。同業者としてドキドキしながら読んだ。同僚の教師や教えた生徒も読んでいるのに、どーするの?と思ってしまうからだ。書き出しはハラハラする。こんな悪い事を書いていいのと思ってしまう。でも、最後はその人のいい面を見つけて終わる。ポジティブというか、こんなふうに人のいい所を見つけられる人って素敵だなと思う。
彼女は人見知りだというが、人が好きでたまらないのだ。エッセイの中にこう書いている。
「生徒が嫌いになったら教師を辞める」
嫌になることの方が多いけれど、それでも生徒が好き。その気持ちがなくなる時はキッパリ教師を辞める。
そうだよな。これが教師の原点だ。
今のところ、僕も生徒は嫌いではない。
でも、好きだとストレートに言えない。
そう言えるようになりたいと、彼女のエッセイを読んで強く思った。
すごい本だった。
清掃活動、ボランティアなど、道徳活動として「素晴らしい」活動である。
しかし、その裏に、権力者による悪の魂胆が隠されている。
つまり、国民の懐柔である。
その最たるものが、「心のノート」である。
国民の公共心の低下を防ぐべく作成された「心のノート」。
主旨としては、もっともなことである。
公共心、道徳心の低下は、国民誰しも感じていることである。
しかし、教科の教科書ですら、検定制度の元複数の教科書が存在する。
それを、日本全国の小学校中学校に共通のテキストとして、配布される。
当初は、好きな時に好きなように使えたらしいが、膨大な予算をかけて作ったもの、当然、目的は強制的に使用することである。
現場の先生は真面目な先生が多いから、なんとか使いこなそうと努力する。(幸か不幸か、高校には降りて来ないが、降りてきていれば僕も工夫して使っていた)。
その実践授業も多くなされてきた。その中で、水を凍らせて氷の結晶を作るのに、美しい言葉の上に一晩置いた結晶はきれいに六角形になるが、汚い言葉の上にはきれいな結晶ができないという「水からの伝言」という、いかがわしいテキストをもとにした実践がある。非科学的だが、感動を呼ぶ授業である。それを教育委員会が絶賛している。しかも、国会でも公明党のタレント議員が取り上げて称賛している。
感動は大切だが、思考を停止させる危険性もある。
裏を読めば、思考を停止させるために、感動を必要以上に強調する。
これが国家戦略として意図されている。

この状況は、アメリカの追随である。
1,980年代、スプートニクショックで、アメリカは教育を建て直そうとする。その時に導入されたのが、「キャラクター・エデュケーション(人格教育)」である。
学力を下支えるのは、愛国心、それを育てるのが道徳教育、そのためのキャラクター・エデュケーションである。
そして、今は、新保守主義(ネオコン)の流れの中にある。
それが教育に現れたのが、インテリジェット・デザイン(ID)である。
ダーウィンの進化論は、適者生存の理論として、ナチスなどに優生学として利用された。
インテリジェット・デザインは、進化論の自然淘汰を否定し、森羅万象は知的存在(造物主)によって作られたと主張する。
「神」と言う言葉を隠蔽しようとしているが、旧約聖書の世界に逆戻りであることは明々白々である。
知的存在の導きによってこと、人々は幸せに生きることができる。
一般ピープルは、何も考えずに、知的存在にすべてを委ねるべきである。
その知的存在の代弁者が、政治家と経営者の支配階級である。
かれらは、支配のために「心」というキーワードを巧みに使う。
政治的、経済的な現実問題も、すべて心の問題として片付けようとする。
すべては気の持ち方で何とかなると思い込ませる教育である。

斎藤氏の書いていることは事実であるが、判断として正しいかどうか、それは僕自身が判断しなければならない。
心理学を勉強し、その一部分を授業で取り入れている立場として、
自分の足元をしっかり見つめ直さなければならない。
役に立つから、面白いから、というだけではなく、その目的を、もっと深い所から問い直さなければならない。
知ってか知らずか「知的存在」の走狗になっている学者や教育者と同じ轍を踏まないように。

これも非正規雇用の問題である。
正社員になれなくて、解雇されるひと。
正社員になったはいいが、酷使される人。
その正社員を管理している管理職も、企業の利益のために飲み込まれている。
管理職になると、勤務時間に上限がなくなり、残業手当もつかなくなる。
その分経営に参画できるかといえば、与えられる権限はほとんどない。
つまり、残業代を払わずに、長時間タダ働きさせるための方便である。
企業は、利益をあげるために、そういう隙間をついてくる。
とすれば、誰が得をするのか。
企業だというが、企業ってなんなのか。
社長や一部の取締役役員だけか。
彼らも本当に得をしているのか。
だれも得をしない社会って、おかしい。
一度は廃案になったが、
ホワイトエグゼンプション。
正社員が自由に労働時間帯を選べるという。
しかし、本当のねらいは、名ばかりの管理職と同じ。
労働者を搾取することしか考えない、経営者や政治家。
江戸時代の士農工商の武士は人口の5%しかおらず、
彼らがその他の95%を支配していた。
そんな時代になっているのだろうか。
副題は、「お金がない人を助けるには」。
と問いかけた小学校5年生に答えるという設定になっている。
経済学ではなく、「的なセンス」で考えようという面白い試み。
しかし、いきなり、背の低い奴は収入が低いだの、もてないだの、
地震に対する備えは地震保険に入ることだの、早く引っ越してしまえだの。
最後にフォローしているつもりが、まったくなっていない。
経済学の本にありがちな数字の羅列はないものの、
出所や信憑性のわからないアンケートや、いきなりの絶対的な前提条件によって、強引に話を進める。
一つの問題を、あーだ、こーだ、そーだ、どーだとコネ繰り回す。
キーワードはインセンティブ(意欲)。
これって経済学?
安物の社会心理学じゃないのか。
小学校5年生は、聞く相手を間違えたようだ。
筆者のセンスを疑う。
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