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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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産業社会を支えているのはエネルギー。
その大部分を石油が担っている。
経済の中心というか、基盤である。
その価格は、かつては消費国のメジャーと言われる超大企業が支配していた。
その後、産油国がイニシアチブを取るようになった。
そして、今は、先物取引の優良商品となり、
投資家がその価格を左右するようになった。
一部の企業が価格を左右して、一部の企業だけが儲けるのは問題である。
しかし、少数なら協議の余地もあり、
儲けもあるが、将来を見据える視点も生じる。
それが、不特定多数の投資家の手に委ねられると、
儲けることだけに主眼が置かれ、将来どうなるか、どうするかを考えることはなくなる。
こんな大事な資源が、市場の欲望に大きく影響される。
これが、資本主義、市場主義である。
そういう意味では、タイトルの通りである。
でも、世界はそれだけで動いているのだろうか。
心とかの問題じゃなく、
経済も石油だけで読めるのか。
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高校生向きの易しい経済の本です。
僕にもピッタリでした。
景気の複雑な仕組みを説明するのは難しいと思う。
それを読者の思考順序と思考時間に沿って、
わかりやすい言葉で、説明してあった。
文章としても一流です。
書かれたのは、リーマンショックの少し前ですが、
今起こっている世界恐慌を予言しています。
アメリカが世界の貿易赤字のほとんどをかぶっている。
つまり、世界経済は、アメリカが輸入超過してくれているお蔭で回っている。
もし、アメリカの消費が突然停止したら、世界恐慌が始まる。
実際、その通りになっている。
なぜ、そうなるのか。
そうなった場合、その後どういう状況が続くのか。
理詰めで書いてある。
それだけに、それが現実になった今、どうしようもない絶望感すら感じる。
今、一読すべき書。
いきなり、この小説を書こうか書くまいかという、筆者の逡巡から始まる。かなり奇をてらった大胆な手法である。この奇襲は、かなりのレベルの小説でなければ成功しない。そしてこの小説は、遥かそのレベルを越えていた。面倒くさがりの私が二度も読んだほどだ。
 「アサッテの人」である叔父は、エレベーター管理会社に勤めるの平凡なサラリーマンである。失踪したのは平凡とは言い難いが、その理由が愛妻を亡くしたという有り勝ちな理由である。甥である僕は廃墟と化した叔父のアパートに叔父を探しに行く。そこで見つけたものは、本の山の中にあった叔父と愛妻の日記であった。
 愛妻の日記によると、叔父は日常会話の中で、何の脈絡もなく突然「ポンパ!」と叫ぶ。嵩じると、「ボンパる」「ポンパれ」「ポンパに属している」「ポンパ的な」などと、バリエーション豊かに「ポンパ」を連発する。「ポンパ」だけでなく、他にも「チリパッパ」「タポンテュー」「ホエミャウ」などを会話の間に挿入する。これらの言葉は、世界中のどんな辞書をひもといても出て来ない、意味不明の言葉である。
 この言葉の意味を解明する人物がいる。叔父が監視するエレベーター内のモニターにしばしば登場する「チューリップ男」と叔父が命名した中年の冴えない会社員である。彼は一人でエレベーターに乗る時、両手を頭の上に広げてチューリップの形を作ったり、コサックダンスを踊り出したり、ズボンを下げて下半身を露出してみたりする。それでいて、顔見知り女の子と乗り合わせた時は、「いい定食屋があるんだけど一緒にどう」という感じで昼食に誘う常識人である。
 つまり、彼らが試みようとしているのは、例えば、五・七・五の定律俳句に対する、尾崎放哉や種田山頭火のような自由律俳句ではなく、字余りの俳句のようなものである。息苦しい平凡な日常を完全に破壊するのでなく、むしろ日常の凡庸さを必要以上に意識して背負い込み、日常の通念とは圧倒的に無関係な言葉を発することで、そこに小さな風穴を開けて、深呼吸をするのである。「アノヨ」までは行かず「アサッテ」へワープするのである。この時代、「ポンパ!」と叫びたくなる人は多いのではないか。少なくとも僕もその一人だ。時代の空気を、大上段から振りかぶるのではなく、人の心の底から見事に抉り取った小説である。
 そして、「アサッテの人」である叔父は、小説の最後まで登場しない。
立松和平の連合赤軍を扱った小説。
坂口弘の手記から盗作したという曰く付きの小説だが、
連合赤軍の集団心理の恐ろしさがマジマジと伝わってきた。
客観的に考えて、革命なんて絵空事にすぎないのに、どうして分からないのだろう。
渦中に入ってしまえば、世界は極端に狭まり、顔を合わせている人との世界がすべてになる。
そこで働くエキセントリックな論理が絶対的なものになる。
これは、日本陸軍しかり、失敗した集団に共通している。
この論理は、現代社会にも散見される。
橋下知事なんて、危ない危ない。
立松は連合赤軍と同年代だから、盗作してまでこの問題を書かねばならなかった。
いわゆる団塊の世代である。
団塊の世代に共通しているのは、論理や思想ではない。
単なるムードにすぎない。
彼らが、いかにも自分たちの世代を主張する時、
一世代下の僕たちは、反吐が出る。

杉本苑子著「散華~紫式部の生涯」を読んだ。
紫式部は日本古典文学の代表である「源氏物語」の作者であるが、
その生涯を小説化したものはなかったらしい。
解説書ではなく、平安朝の女性も、現代の女性と同じ感性や知性を持っているとしたらという仮定で書かれているので、面白いが、史実に忠実であるかどうかは分からない。
それが小説だからそれでいいのだが。
「蜻蛉日記」があって、「枕草子」があって、「和泉式部日記」 があって、それらに触発された形で、「源氏物語」が書かれた。
成立の年代から言えばそうだろう。
しかも、彼女らは同時代を生きた女性であり、世間も狭く、しかも血縁関係にあった者も多い。
そうした背景を考えると、とてもダイナミックな時代であったろうと想像される。
古典の世界が、非常に身近な思える作品だった。

これに先立ち、丸谷才一の「輝く日の宮」を読んだ。
こちらは現代小説で、若き国文学者の女性が、「桐壺」の巻の次にあったと想像される「輝く日の宮」の巻を再現するというストーリーで、こちらも、源氏物語の成立を現代的な視点でとらえていて、
非常に面白かった。

国語の授業で、こうした古典の面白さを伝えられれば、生徒も古典好きになるだろうなと思った。

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