教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
非常に長い学科である。
念願の入学式でした。37年前、同じ教育大学に入学をしたのですが、体育館で入学式があったのは覚えているのですが、それ以外の記憶は全くない。
55歳になって、再び自分の入学式があろうとは、考えてもいなかった。だから、少し早めに行って、新入生気分を味わった。今日は長女の大学の入学式で妻が付いて行ったが、学部生のあるいは学部卒の院生の親は沢山来ていた。ホールが狭いので、学生は座れるが保護者は立ち見。入りきれない保護者もいたようだ。37年前には考えられない。親は来ないのが普通だった。
式は40分ぐらいで終わった。37年前の学長の話は全く覚えていないので、また学長が大学時代の恩師なので、今日はしっかり聞こうとした。
その後、17時まで、みっちりオリエンテーションである。科目登録や連絡などは全部コンピュータを利用するので、その説明もあった。コンピュータが触れなければ、やっていけない。あれやこれや、次々に説明があったので、頭はパニック状態である。若い学生たちは十分理解したのだろうか。
記憶に残る入学式だった。
念願の入学式でした。37年前、同じ教育大学に入学をしたのですが、体育館で入学式があったのは覚えているのですが、それ以外の記憶は全くない。
55歳になって、再び自分の入学式があろうとは、考えてもいなかった。だから、少し早めに行って、新入生気分を味わった。今日は長女の大学の入学式で妻が付いて行ったが、学部生のあるいは学部卒の院生の親は沢山来ていた。ホールが狭いので、学生は座れるが保護者は立ち見。入りきれない保護者もいたようだ。37年前には考えられない。親は来ないのが普通だった。
式は40分ぐらいで終わった。37年前の学長の話は全く覚えていないので、また学長が大学時代の恩師なので、今日はしっかり聞こうとした。
その後、17時まで、みっちりオリエンテーションである。科目登録や連絡などは全部コンピュータを利用するので、その説明もあった。コンピュータが触れなければ、やっていけない。あれやこれや、次々に説明があったので、頭はパニック状態である。若い学生たちは十分理解したのだろうか。
記憶に残る入学式だった。
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