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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリングとグループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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19日、末娘の卒業式の夜に、夜行バスに乗って津和野へ出発した。
翌朝7時30分に津和野に到着。
喫茶店でモーニングと思ったのが甘かった。
そりゃそうだ、モーニングをしても食べに来る客がいない。
会社へ通勤する人がいるはずもなく、観光客も普通こんな早くに来ない。
駅の売店が開くのを待って、パンと缶コーヒーを買って朝食にする。
まずは森鴎外、林太郎の墓のある永明寺を訪れる。
墓には「森林太郎」とした彫っていない。
数々の栄光を刻みたがるのが有名人であるが、鴎外は遺書の中に、
ただ石見の人として死にたいと書いている通りの墓石である。
猪瀬直樹が、東京の禅林寺の墓には側面の没年に「大正」の元号すらないので、鴎外は「大正」という縁起の悪い言葉を元号にする日本が嫌いであったと書いていたが、東京の墓を見てないので何とも言えないが、本家の墓には「大正」とあるので、猪瀬の説も信じ難くなる。
津和野側沿いを歩き、津和野高校が見えた。
朝、喫茶店を探して歩いていると、野球部員が挨拶してくれた。
校内ではある光景だが、街を歩いていて挨拶するのは、日頃からの気構えがあるから。この挨拶で、一挙に好感を持った。恐るべし、挨拶。
次は、西周旧宅。
川を渡って、森鴎外記念館。展示室は2つ。1室目は、津和野を出てからの鴎外。軍医として文人として活躍する鴎外。ここから、公人としての鴎外と私人としての鴎外に苦しむ。
国語でお世話になっている『舞姫』、
不細工だからといって離婚した登志子の写真、「美術品ラシキ妻」と絶賛した志ずの写真、確かに大差がありました。舞姫の原稿もありました。5人の西洋風の名前を付けた子どもたちの展示もありましたが、なぜ、不律はないのか。
2室目は、津和野時代、10歳までの鴎外。藩校養老館への通学路が当時のことが忍ばれて面白かった。
でも、旧宅の拝観料を含めて600円は高い。
最後は、津和野と言えば殿町通り。この辺りは、人通りが多かった。
ここで、昼前になったので、昼食は、ガイドブックで調べておいた
「蕗の茶屋」でつわぶきご飯。山菜料理でやや高値であるが、旅の思い出である。先客があって、昨日津和野に引っ越してきた家族。
地方に引っ越してくる家族って珍しい。いいことだと思う。
一旦やんだ雨がまた降り出した。
萩を目指して、バスに乗る。
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