教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
2講目は、俳句の授業でした。
俳句は2句ありました。
2句目は、
「背より抱き ともに螢火 見てゐたり」
見ているのは誰と誰か。親子か恋人か。
僕は親子派でした。
「ゐたり」は座っている状態で、座っている人を背後から抱くのは母親だと思ったからです。
しかし、子どもは長時間じっとしていられないので、恋人だという説明があった。
僕はまだ納得できなかったので、親子に再度手を挙げた。
しかし、「無言かどうか」という発問で納得できました。
当然この場面は無言。親子なら、母が子に「きれいだね」とか必ず話し掛けるはず。
鋭い発問でした。句の中に根拠はありませんが、状況として当然検証しなければならない。
先生はこの句で授業すること昨夜決めて、授業を組み立てられた。
そして、この問い。凄い。
このように、読解は正確に文脈を整理する。
鑑賞は、正しい読解の上に成り立つ。ただし、何でもありではない。
俳句は2句ありました。
2句目は、
「背より抱き ともに螢火 見てゐたり」
見ているのは誰と誰か。親子か恋人か。
僕は親子派でした。
「ゐたり」は座っている状態で、座っている人を背後から抱くのは母親だと思ったからです。
しかし、子どもは長時間じっとしていられないので、恋人だという説明があった。
僕はまだ納得できなかったので、親子に再度手を挙げた。
しかし、「無言かどうか」という発問で納得できました。
当然この場面は無言。親子なら、母が子に「きれいだね」とか必ず話し掛けるはず。
鋭い発問でした。句の中に根拠はありませんが、状況として当然検証しなければならない。
先生はこの句で授業すること昨夜決めて、授業を組み立てられた。
そして、この問い。凄い。
このように、読解は正確に文脈を整理する。
鑑賞は、正しい読解の上に成り立つ。ただし、何でもありではない。
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