教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
新・新とヘンであるが、新パンの会というのは北原白秋の主宰した会を、以前の名称として使っていたが、中心になっている先生が変わられて、それを引き継いだ形で発足したので、こんな名称になったらしい。
これは30年以上続いている、京都教育大学の国文科の研修会である。卒業生や現役学生や院生が集まり、実践を発表し、質疑応答するというもので、かなり突っ込んだ話までする。今回のテーマはイーザーの読書論について。僕は名前も聞いたことがなかったが、読み込んでいらっしゃる先生が何人もいて、勉強不足を恥じた。読書とはテクストだけでも、読者だけでも成り立たない。その融合した所に成立する。大切なものは、レパートリー(奥行き)、ストラテジー(戦略)、語り手、登場人物、筋、虚構の読者、イメージ、空所(想像の余地)、否定性(どんでん返し)である。というもの。そういえばそうだなと思う。
メンバーに、大学の同級生で、今年から教師を辞めて、この大学の院で発達障害について勉強している旧友に会った。入学式でも挨拶したが、互いの向学心に驚いていた。
これは30年以上続いている、京都教育大学の国文科の研修会である。卒業生や現役学生や院生が集まり、実践を発表し、質疑応答するというもので、かなり突っ込んだ話までする。今回のテーマはイーザーの読書論について。僕は名前も聞いたことがなかったが、読み込んでいらっしゃる先生が何人もいて、勉強不足を恥じた。読書とはテクストだけでも、読者だけでも成り立たない。その融合した所に成立する。大切なものは、レパートリー(奥行き)、ストラテジー(戦略)、語り手、登場人物、筋、虚構の読者、イメージ、空所(想像の余地)、否定性(どんでん返し)である。というもの。そういえばそうだなと思う。
メンバーに、大学の同級生で、今年から教師を辞めて、この大学の院で発達障害について勉強している旧友に会った。入学式でも挨拶したが、互いの向学心に驚いていた。
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