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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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念願の関が原古戦場巡りをした。
まず、歴史民族資料館で知識を詰め込んでいざ出発。目指すコースは、全長13㎞、6時間の行軍コース。
まずは石田三成陣跡。石田三成は、今で言う官僚あがり。武力は非力であったが、政治システムの確立には非凡な才能をもっていて、それが秀吉に認められて異例の出世した。だから、秀吉に対する忠義は異常とも言えるもので、百戦錬磨の家康に喧嘩を吹っ掛ける。家康は、三成の官僚臭さに対する反発を利用して豊臣家の家臣を分断した。とすれば、関が原の合戦の遠因は三成にもある。ただ、彼は超真面目、超誠実な人物であったことは間違いないようだ。
次は、小西行長。朝鮮出兵などで秀吉に貢献した。当然、西軍に入る。
次は、宇喜多秀家。秀吉の養女を妻にもらっているのだから、血のつながりで西軍に。西軍で一番の兵力を持っていた主力部隊。
次は、島津義弘。成り行きで鹿児島から参戦した。最後に残って追い詰められ、逆転の発想で、後退ではなく前進で中央突破に成功して、鹿児島まで逃げ帰る。その因縁が幕末に爆発したのか。
次は、僕の大好きな大谷吉継。彼は、小早川秀秋の寝返りを知り、三成に進言したが聞き入れられず、それでも、三成への友情で参戦した。負けを覚悟した死に装束であった。散華の美学である。
最後は裏切り者の小早川秀秋。家康に寝返りを約束したものの、松尾山から戦況を眺めると西軍が有利。それで迷っていると、家康から砲弾の催促。そして裏切りの約束を裏切らず、決行する。彼の寝返りが形勢を逆転させた。この合戦の勝敗を決定するポイントゲッターである。いろいろなしがらみが19歳の若者には過酷であった。その後、かれは発狂する。もし、彼が裏切らなければ、西軍が勝利し、豊臣の世が続くことになった。これは恐ろしいことである。秀吉は秀逸であったが、子どもは愚息、その母は超過保護、家臣はその顔色を伺うばかり。三成も豊臣家だけのために働く。世の中は乱れ、外国に侵略されていたかもしれない。その意味で、彼の裏切りはその後の日本のためには良かったことになるのか。
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