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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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教師のための教育事典「EDUPEDIA」の「アクティブラーニング入門」のサイトと非常によくできている。
アメリカの大学改革から生まれた歴史から、それか日本の小中高へ導入される経緯が簡単に説明してある。「教える」から「学ぶ」へのパラダイム転換の一環から必然的に発生したのであるなら、受け止めざるを得ないと納得できる。
とはいえ、現場の教師は不安である。その疑問にも的確に答えている。従来やってきた発問の多い生徒に考えさせる授業、すこしでもグループ活動を取り入れた授業、それがすでにアクティブラーニングである。
要するに大切なことは、学習者を受動的な学びのスタイルから能動的な学びのスタイルに転換させることである。
それならば、極端に話、かつて宮城教育大学の林竹二学長がなさった、一言も発問しないが生徒の頭や心の中がぐるぐる展開するような授業もアクティブラーニングになるのか。
講義だけでなく、書く、話す、発表するなどのアクティブな活動が加わって、初めてアクティブラーニングになるのである。
授業の最初に、その時間のゴールとプロセスを明示して、自分たちが学ぶ意義と筋道を理解させておいた上で、ペア学習や協同学習の手法を取り入れながら、授業を展開していく。
そのためには、深い教材研究と授業デザインと、個々の生徒やグループの力をうまく引き出すファシリテーションの技術が必要になる。
そして、その前提にある重要なものが、安心して自分の意見が発表できる環境設定である。まずしなければならないのは、技法の修得ではなくインフラ整備である。

この記事のもっとも優れたところは、従来型の授業を否定していないところです。アクティブラーニングが成立するのは最も必要なものは、実は、十分な知識と情報です。これなくしていくらグループ学習をしても空理空論の空中戦に終始してしまうおそれがあります。その講義の時間をいかに効率的にして、アクティブラーニングの時間を捻出するのか、そういう授業デザインが必要になります。より深い教材研究によって教材を分析し、何を、どのように提示していくのかを綿密に組み立てていく必要があります。
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リクルートマーケティングパートナーズが1月29日に発表した調査結果によると(http://www.recruit-mp.co.jp/news/library/pdf/20150129_01.pdf)、アクティブラーニング型授業を実施している高校は47.1%に上り、実施していない高校(33.5%)を上回ることが、より明らかになった。全国すべての全日制高校の進路指導主事4,838人を対象に実施し、1,140人の回答を得た。進学率が高いほど実施率が高く、大学・短大進学率70%以上の高校では56.6%が実施している。また、高校所在地別に見ると、南関東で59.9%、北陸で54.8%、北海道で51.9%と半数を超える。

すさまじい普及速度である。でも、何を以てアクティブラーニング型授業とするかによって、数も大きく変動するだろう。とことんアクティブラーニングしている授業もあるだろうし、ちょこっとアクティブラーニングという授業もあるだろう。
それに面白いのは、進学率の高い=学力の高い学校ほど実施率が高いということである。逆に言えば、教育困難校、あるいは低意欲の生徒の多い学校で、主体的な学びであるアクティブラーニングの実施は困難というか、教師が二の足を踏んでしまうということだろう。
アクティブラーニングの実践家の第一人者といえば、元越谷高校理科教諭の小林昭文氏である。氏の授業は、最初の15分で、プリントを配布しパワーポイントを使って学習内容を説明する。次の35分で、問題と解答と解説プリントを配布して自由に歩き回って聞いたり教えたりして問題演習をする。最後の15分で、確認をテスト(演習問題と同じ問題)し、相互採点し、振り返りシートを書く。同じパターンで1年間継続する。
僕も2回ほど小林先生の授業を体験したが、物理の苦手な僕にとっては、正直あまり愉快な時間ではなかった。なぜ、この授業を生徒が絶賛するのか。そこには、きっと小林先生ならではのスパイスがあるはずだと思う。
巷間に広がるアクティブラーニング、その定義は?
様々言われているが、文部科学省が(あるいは現在の下村博文文部科学大臣が)公式に定義したものはない。文部科学省のホームページを探して見つかるのは、
平成26年11月20日の26文科初第852号、文部科学大臣下村博文が中央教育審議会に諮問した
「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」しかない。

その中には、
「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)」
とある。
アクティブラーニングが必要な理由については、
「我が国の子供たちについては,判断の根拠や理由を示しながら自分の考えを述べることについて課題が指摘されることや,自己肯定感や学習意欲,社会参画の意識等が国際的に見て低いことなど,子供の自信を育み能力を引き出すことは必ずしも十分にできておらず,教育基本法の理念が十分に実現しているとは言い難い状況です。また,成熟社会において新たな価値を創造していくためには,一人一人が互いの異なる背景を尊重し,それぞれが多様な経験を重ねながら,様々な得意分野の能力を伸ばしていくことが,これまで以上に強く求められます。」
とある。
アクティブラーニングによって、
「「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと,「どのように学ぶか」という,学びの質や深まりを重視する」
力を育成しようとするのである。

ただ、これは文部科学省という一行政機関の長が、中央教育審議会という一諮問機関にお願いしただけの文章である。中央教育審議会からの回答はまだで、文部科学省からの正式な発表もまだなのである。いわば、アクティブラーニングが一人歩きしているのである。

とはいえ、方向性としては間違ってはいないので、真摯に取り組まねばならない。

が、アクティブラーニングって、いったい何?、どうすればいいの?、どこまでやればいいの?
と問うとやはり「?」である。

杉江修治先生の『協同学習入門』から、戦後日本の集団学習と個別学習の往復を見てみる。
戦後まもなく、米国対日教育使節団の指導の下、小集団を積極的に活用する「分団学習」の授業スタイルが一般化した。集団ごとに与えられた課題を解決し、全体に発表して共有していくという指導法である。
しかし、確固たる理論がなく、1950年頃、基礎学力の低下が指摘され急激に収束していく。
1950年代半ば、一斉講義の後、6人ずつの集団に分かれて6分間話し合いをする「バズ学習」が現れる。人間関係は学習を促進する基盤であるという理論の下、人との相互作用を通して習得したことは生きる力に結びついていくと考える。
しかし、1980年代に入ると、個別学習に関心が移る。個に応じた学びが尊重され、集団学習は下火になる。
そして今、三たび、アクティブラーニングの名の下に、集団学習が見直される。今回は、文部大臣の肝入りである。
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