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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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府立学校教育相談研究会の総会と研修会。大阪大学大学院の小野田正利教授に来ていただいた。噂通りの熱演で、90分間、笑いながらも心に染みる講演だった。ド派手な衣装で登場。なぜなら、深刻な話だからせめて格好だけは明るくしたいということから。
小野田氏は保護者をモンスターと呼ばない。なぜなら、モンスターは生き物で、そういうことは人格批判になる。イチャモンと言えば事柄だから人格攻撃にはならない。なぜ、イチャモンをつけてくるのか、その背後を考える。たとえば、父親が家族の中での自分の地位を確立するために学校にイチャモンをつける。振り上げられた拳を見るのでなく、拳の源を見る。
対策として、①茶を出す。②「そういう気持ちにしたことは申し訳ない」③同僚を見殺しにしない。④言い逃れをしない。⑤相手の立場に立つと見えるものは。⑥話し合いの条件設定。⑦エネルギーの源を探る。⑧エラーを恐れない。⑨学校でできないことの見極め。⑩向き合う気持ちと共同性。
最後に、イチャモンに対応するには、教師のメンタルヘルスが不可欠。グチをこぼせる場が必要だ。 
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新・新とヘンであるが、新パンの会というのは北原白秋の主宰した会を、以前の名称として使っていたが、中心になっている先生が変わられて、それを引き継いだ形で発足したので、こんな名称になったらしい。
これは30年以上続いている、京都教育大学の国文科の研修会である。卒業生や現役学生や院生が集まり、実践を発表し、質疑応答するというもので、かなり突っ込んだ話までする。今回のテーマはイーザーの読書論について。僕は名前も聞いたことがなかったが、読み込んでいらっしゃる先生が何人もいて、勉強不足を恥じた。読書とはテクストだけでも、読者だけでも成り立たない。その融合した所に成立する。大切なものは、レパートリー(奥行き)、ストラテジー(戦略)、語り手、登場人物、筋、虚構の読者、イメージ、空所(想像の余地)、否定性(どんでん返し)である。というもの。そういえばそうだなと思う。
メンバーに、大学の同級生で、今年から教師を辞めて、この大学の院で発達障害について勉強している旧友に会った。入学式でも挨拶したが、互いの向学心に驚いていた。
昨日とよく似た名称の会議で、しかも場所も同じであった。今日は、新任者のいる学校の校長と、指導教員と、教科指導指導教員が一堂に集められた。3月末に、新任者の教科指導員を気軽に引き受けてしまった。もっとも魅力的な仕事で、以前からやってみたいと思っていた。
壇上に立つ方々は、コンコンと新任者の指導の必要性を説かれる。分散会でも同じである。来られている指導教員は退職された校長や副校長が多く、何人もの先生にご挨拶をした。
良かったのは分散会で、僕と同じ教科指導員の先生方との交流であった。そこで確認したことは、僕らの仕事は良い教師を育てることで、余りにもハードな研修や、必要以上に厳しい指導で、若い先生を潰さないことだ。良い意味での「適当」が必要である。
今日は保健部長としての仕事。スクールカウンセラーの担当教員として研修会に参加した。
京都府の総合教育センターに、府下の小中高の先生とスクールカウンセラーが集められ、講演があったあと、分散会で各校の現状と課題について話し合った。
保健部長になって1カ月のたたないので、状況が詳しくわからないまま、スクールカウンセラーの先生に助けてもらってなんとか話をした。今まで研究会ではスクールカウンセラーの活用について外野から話をしていたが、いざ当事者となると見方も変わる。
講演では、教員はあくまでもプレーヤーであり、スクールカウンセラーに丸投げするのでなく、連携してプレーヤーとしての力量を高めていく必要がある。学校に教員以外の人が入るということのメリットを十分に活用して、校内研修や会議にもどんどん協力してもらって、教員全体のレベルアップをする必要があると思った。
今日来られたスクールカウンセラーの方はみんな力量があって、頼もしく感じた。
久々に明日の教室に参加した。
今回は野中信行氏。テーマは、「味噌汁・ご飯」の授業。つまり、日常授業を見直そうということ。研究授業などでは、入念に時間を掛けて用意された授業が展開される。そんな授業を「ごちそう授業」と名付ける。でも、そんな授業を毎回できるはずもない。万が一、毎日ごちそう授業ば
かり受けていると、飽きてしまう。これは僕流に言えば、プロレスと同じである。プロレスの技が高度化すると同時にデンジャラスになると、ファンはますます危険な技を求める。レスラーはそれに応えようと危ない技を繰り出す。その結果が三沢光晴の死である。
計算してみるは、小学校で年間ごちそう授業は数時間、それに比べて、日常授業は1,000時間。いくら研究授業で素晴らしい授業をしても、日常の授業が不味ければ、生徒に学力はつかない。
日常授業とは、教材研究に時間を掛けたくても掛けられない授業のことである。とすれば、いかに効率的に教材研究をするかがポイントになってくる。
今回の研修会では、詩を教材にして、30分程度で教材研究をし、15分の模擬授業をさせた。それはそれで面白かった。その後講義があった。先に書いたようなことが話された。目からウロコはなかったが、日々思っていたことをきっぱりと言っていただきスッキリした。日常授業は時間潰しになっていることが多い。なぜ授業をするかといえば、そこに授業時間があるからだ。洒落にもならない状況だが、これが現実である。
残念ながら、じゃどうすれば良いか、というマニュアル的な提示はなかった。それはこれからの課題である。
大切なことは、授業は日常的なものであり、それをいかに効率的に充実するかである。

ところで、2次会であるが、知り合いが何人もいた。以前研究会で同じだった人、大学院に通っている人、でも、一番痛感だったのは、教え子、しかも担任していた子が挨拶に来てくれたのに、思い出せなかったこと。本当に失礼なことをしてしまった。申し訳ない。
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