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教育の職人のぶさんの、国語教育とカウンセリング(公認心理師)、グループワークとキャリア教育、長年鍛えた職人技をお目にかけます。
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新・新とヘンであるが、新パンの会というのは北原白秋の主宰した会を、以前の名称として使っていたが、中心になっている先生が変わられて、それを引き継いだ形で発足したので、こんな名称になったらしい。
これは30年以上続いている、京都教育大学の国文科の研修会である。卒業生や現役学生や院生が集まり、実践を発表し、質疑応答するというもので、かなり突っ込んだ話までする。今回のテーマはイーザーの読書論について。僕は名前も聞いたことがなかったが、読み込んでいらっしゃる先生が何人もいて、勉強不足を恥じた。読書とはテクストだけでも、読者だけでも成り立たない。その融合した所に成立する。大切なものは、レパートリー(奥行き)、ストラテジー(戦略)、語り手、登場人物、筋、虚構の読者、イメージ、空所(想像の余地)、否定性(どんでん返し)である。というもの。そういえばそうだなと思う。
メンバーに、大学の同級生で、今年から教師を辞めて、この大学の院で発達障害について勉強している旧友に会った。入学式でも挨拶したが、互いの向学心に驚いていた。
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昨日とよく似た名称の会議で、しかも場所も同じであった。今日は、新任者のいる学校の校長と、指導教員と、教科指導指導教員が一堂に集められた。3月末に、新任者の教科指導員を気軽に引き受けてしまった。もっとも魅力的な仕事で、以前からやってみたいと思っていた。
壇上に立つ方々は、コンコンと新任者の指導の必要性を説かれる。分散会でも同じである。来られている指導教員は退職された校長や副校長が多く、何人もの先生にご挨拶をした。
良かったのは分散会で、僕と同じ教科指導員の先生方との交流であった。そこで確認したことは、僕らの仕事は良い教師を育てることで、余りにもハードな研修や、必要以上に厳しい指導で、若い先生を潰さないことだ。良い意味での「適当」が必要である。
今日は保健部長としての仕事。スクールカウンセラーの担当教員として研修会に参加した。
京都府の総合教育センターに、府下の小中高の先生とスクールカウンセラーが集められ、講演があったあと、分散会で各校の現状と課題について話し合った。
保健部長になって1カ月のたたないので、状況が詳しくわからないまま、スクールカウンセラーの先生に助けてもらってなんとか話をした。今まで研究会ではスクールカウンセラーの活用について外野から話をしていたが、いざ当事者となると見方も変わる。
講演では、教員はあくまでもプレーヤーであり、スクールカウンセラーに丸投げするのでなく、連携してプレーヤーとしての力量を高めていく必要がある。学校に教員以外の人が入るということのメリットを十分に活用して、校内研修や会議にもどんどん協力してもらって、教員全体のレベルアップをする必要があると思った。
今日来られたスクールカウンセラーの方はみんな力量があって、頼もしく感じた。
久々に明日の教室に参加した。
今回は野中信行氏。テーマは、「味噌汁・ご飯」の授業。つまり、日常授業を見直そうということ。研究授業などでは、入念に時間を掛けて用意された授業が展開される。そんな授業を「ごちそう授業」と名付ける。でも、そんな授業を毎回できるはずもない。万が一、毎日ごちそう授業ば
かり受けていると、飽きてしまう。これは僕流に言えば、プロレスと同じである。プロレスの技が高度化すると同時にデンジャラスになると、ファンはますます危険な技を求める。レスラーはそれに応えようと危ない技を繰り出す。その結果が三沢光晴の死である。
計算してみるは、小学校で年間ごちそう授業は数時間、それに比べて、日常授業は1,000時間。いくら研究授業で素晴らしい授業をしても、日常の授業が不味ければ、生徒に学力はつかない。
日常授業とは、教材研究に時間を掛けたくても掛けられない授業のことである。とすれば、いかに効率的に教材研究をするかがポイントになってくる。
今回の研修会では、詩を教材にして、30分程度で教材研究をし、15分の模擬授業をさせた。それはそれで面白かった。その後講義があった。先に書いたようなことが話された。目からウロコはなかったが、日々思っていたことをきっぱりと言っていただきスッキリした。日常授業は時間潰しになっていることが多い。なぜ授業をするかといえば、そこに授業時間があるからだ。洒落にもならない状況だが、これが現実である。
残念ながら、じゃどうすれば良いか、というマニュアル的な提示はなかった。それはこれからの課題である。
大切なことは、授業は日常的なものであり、それをいかに効率的に充実するかである。

ところで、2次会であるが、知り合いが何人もいた。以前研究会で同じだった人、大学院に通っている人、でも、一番痛感だったのは、教え子、しかも担任していた子が挨拶に来てくれたのに、思い出せなかったこと。本当に失礼なことをしてしまった。申し訳ない。
今月のFAJの月例会は、松岡正剛主宰のイシス編集学校の師範・頭取の大川雅生氏がファシリテーターでした。さすが元リクルートの職員です。明晰な頭脳の持ち主でした。編集は本だけでなく、人生といえば大げさだが、日常生活も編集だ。様々な情報を取捨選択をしている。そして、一日を組み立てる。出だしからインパクトがあった。
4時間の研修だったが、時間が惜しいぐらい充実していた。
まずは、名前と所属に加えて、自分を料理にたとえる自己紹介。そこからチームの名前を決める。
次に、講師が15の品物を言い記録する。それらを思い出せるかというのはフリで、ワークはそれを分類すること。ポイントはカテゴリー化、ラベリング。自分の枠、型、フレームを作っておくとそれが瞬時にできる。フレームもいくつか持っていて、出で来るアイデアを予測して分類していく。
その次は、広告を見て、あるものの情報を、「分子/分母」の形で書き出していく。分母はカテゴリーを表す。一つの情報もカテゴリーが変われば意味も変わる。例えば、「赤/色」とすれば、様々な色がある中で、なぜ赤を選んだのかという観点が持てる。他の色ではなぜいけないのか。そう考えていくと、広告の一つ一つの要素に必然性が見いだせる。一つの広告を作るにもそれだけの配慮がなされているかがわかる。逆に、ないものも同じようにしていくと、明らかになる意図もある。削ぐことも編集である。物事を多面的に、さらにその多面性を裏表から見る、発想が無限に広がっていく。
次に、今年に入ってから買ったものを書き出していくワーク。とにかく、頭の中から情報を取り出す想起の作業である。想起する時、むやみやたらと思い出すのではなく、そこでもカテゴライズしている。時間軸で想起したり、買った店や、置いてある場所などの空間、誕生日とか旅行とかテーマごとにまとめて想起するなど。そして、想起したものを動かす、つまり編集の作業に入る。その時に軸を立てる。客観的な軸としては、値段毎に並べる。主観的な軸としては気に入った順に並べる。目的的な軸としては、ファシリテーションに役立つと思う順に並べる。同じ材料でも、切り口によって様々な分類ができる。そして、目的的分類からベスト3を取り出してストーリーを作る。その時に留意するのは、分かりやすさ+切れ味。そこが編集の妙である。
最後のワークは、変換代替。あるものも、分母を変えると意味が異なることは前のワークで考えた。それを徹底して、例えば「花見」も、カテゴリーが異なれば違う意味を持つ、それを数多く変換してみる。例えば、企業においては、新人研修の登竜門であったりする。これらの変換を数多くできることが編集の腕である。
そして、コミュニケーションにおいても、分母を合わせることが肝要。話が食い違うのは、分母が合っていないから。何事も、まずは分母が合っているかを確かめながらすると、いいコミュニケーションがはかれる。
今回の研修で得たものは多い。その中で、あえて2つあげるとすれば、型を持つことと、分母を意識することである。
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